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豊川孝弘 : ミニ英和和英辞書
豊川孝弘[とよかわ たかひろ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [こう]
 【名詞】 1. filial piety 

豊川孝弘 : ウィキペディア日本語版
豊川孝弘[とよかわ たかひろ]

豊川 孝弘(とよかわ たかひろ、1967年2月20日 - )は、将棋棋士東京都杉並区出身。棋士番号200。関屋喜代作八段門下。
== 棋歴 ==

*将棋のルールを覚えたのは小学3~4年の頃であったが、本格的に指し始めたのは、クラスで将棋が流行った中学1年の頃であり、その後にプロとなった人物としては、かなり遅い部類に入る。友人達と一緒に将棋会館の道場に通うようになり、中学2年の夏に早くもアマ四段となる。
*高校1年時(1982年12月)に奨励会に入会〔同期入会は、羽生善治森内俊之佐藤康光郷田真隆など。〕。高校を中退し、連盟に泊り込みのような状態で将棋の修行に励んだ。
*奨励会では6級から3級に上がるのに1年2ヶ月、二段から三段に上がるのに4年をそれぞれ費やすなど、大きな足踏みを経験したものの、それ以外は順調に昇級・昇段を続けた。
*第6回(1989年後期)より三段リーグに出場。4期目となる第9回(1991年前期)で13勝5敗(1位〔最終2局を残した時点で、1番手が深浦康市・2番手が真田圭一・3番手豊川という状態だったが、深浦及び真田がそれぞれ1敗を喫し、豊川は2局とも勝った為、順位が逆転し、1位の豊川・2位の深浦が四段に昇段した。〕)の成績を挙げ、24歳でプロ入り。
*順位戦には第51期(1992年度)より参加。
*第58期順位戦(C級2組)では奨励会同期の飯塚祐紀の昇級の一番を深夜まで粘って見事に勝利、飯塚の昇級を阻止した。(飯塚は次期、豊川は次々期に昇級。)
*しかし4年後の第62期順位戦(C級1組)最終局、自身の昇級の一番で今度は飯塚に敗れ昇級を逃してしまう。4年越しで借りを返される形になった。
*初参加から16年目の第66期順位戦(C級1組)において、8勝2敗の成績を挙げ、ついにB級2組への昇級を決める。
*第67期順位戦B級2組でも8勝2敗の成績を挙げ、2年連続昇級でB級1組に上がる。最終局を1敗のトップで迎え、自身は敗れて2敗になったものの、ライバル2名のうちの1名(先崎学)も敗れたために昇級するという展開であった。棋戦優勝の経験がなく、竜王ランキング戦でも3組が最高の豊川にとっては、A級の一歩手前のB級1組への昇級は、棋歴の中で大きな意味を持つ。
*2015年度の第74期順位戦B級2組では2勝8敗の成績に終わり、降級点2となりC級1組へ降級となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「豊川孝弘」の詳細全文を読む




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