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長野電鉄モハ1100形電車(ながのでんてつモハ1100がたでんしゃ)は、長野電鉄が従来在籍した木造車の鋼体化改造によって1961年(昭和36年)に導入した電車(制御電動車)である〔「私鉄車両めぐり(49) 長野電鉄」 p.169〕。 本項では、同様に木造車を種車として、モハ1100形の制御車として導入されたクハ1150形電車〔について併せて記述するとともに、モハ1100形・クハ1150形の種車となったモハ1形電車・クハ50形電車・クハニ60形電車(いずれも2代)〔についても記述する。 == 概要 == 日本国有鉄道(国鉄)より払い下げを受けて1955年(昭和30年)に導入したモハ1形1・クハ50形51・クハニ60形61(いずれも形式・車両番号とも2代、以下同じ)の3両は、国家買収により1937年(昭和12年)6月1日付〔『私鉄買収国電』 pp.79 - 86〕で国有化された信濃鉄道(現・JR大糸線の一部)が保有した木造車体の電車を出自とする〔〔。信濃鉄道が保有した電車各形式は国有化に伴って鉄道省籍に編入され、幾度かの改称・改番を経てモハ1100形・クハ5100形・クハ5110形・クハユニ7100形の4形式に区分された〔。このうち、1955年(昭和30年)3月に廃車となったモハ1100形1101・クハ5110形5110・クハユニ7100形7100の3両が長野電鉄へ払い下げられ〔、モハ1101は長野電鉄モハ1、クハ5110は同クハ51、クハユニ7100は同クハニ61として、1955年(昭和30年)4月以降順次運用を開始した〔。 導入後は主にモハ1-クハ51の同形式2両で編成を組成して運用されたが、1960年(昭和35年)10月にクハ51が踏切事故で被災し車体を大破したことを契機に〔、これら払い下げ車3両の鋼体化改造を実施することとなり、翌1961年(昭和36年)9月にモハ1100形1101・1102、およびクハ1150形1151の3両が日本車輌製造東京支店において製造された〔『RM LIBRARY86 長野電鉄 マルーン時代』 p.41〕。新製された車体は18m級の全鋼製2扉構造で、客用扉は長野電鉄において初採用例となる両開扉仕様とした〔。 モハ1100形・クハ1150形はいずれも新製名義ではなく鋼体化改造名義で落成したものの〔、車体は台枠から新製され、台車は他社より購入した中古品を装着するなど、実際に種車から流用した部品は主電動機・制御装置・制動装置のみに留まる〔。また、モハ1100形1102はクハニ61を名義上の種車とするが、形式称号が示す通り鋼体化改造に際しては制御電動車として落成し、電装品はモハ1を種車とするモハ1100形1101と同等の機器を他社より購入して搭載した〔。 編成はモハ1101-モハ1102-クハ1151の同形車のみによる3両編成を組成したが、モハ1101・1102の2両を背中合わせに連結した2両編成にクハ1151を連結する形態とし〔、閑散時にはクハ1151を解放してモハ1101・1102のみによる2両編成での運用を可能する編成構成とした〔。そのため、3両編成組成時に中間車として運用されるモハ1102は前面を貫通構造としたのに対し、常時先頭車として運用されるモハ1101・クハ1151は前面を非貫通構造とした点が異なる〔。 モハ1100形・クハ1150形は長野電鉄に1979年(昭和54年)まで在籍し〔『RM LIBRARY86 長野電鉄 マルーン時代』 p.32〕、除籍後は全車とも他の私鉄へ譲渡され〔、譲渡先においては1997年(平成9年)まで運用された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「長野電鉄モハ1100形電車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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