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豊田 誠佑(とよだ せいすけ、1956年4月23日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(外野手)、プロ野球コーチ。右投右打。1988年から1996年までの登録名は、豊田 成祐、1997年の登録名は豊田 成佑(読み方同じ)。 == 来歴・人物 == 日大三高から明治大学へ進学。東京六大学リーグ通算62試合出場、203打数63安打、打率.310、5本塁打、26打点。首位打者1回。ベストナイン2回。1978年ドラフト外で中日入団。 明大時代の1977年春に首位打者を獲得するなど即戦力の巧打者として入団当初は活躍を見せる。しかし4年目の1982年、故障がもとで1年先輩の平野謙にレギュラーを奪われることとなり、その後の活路を右の代打・守備要員に見出す。 大学時代から巨人・江川卓と相性がよく、江川キラーとして名を馳せた。1982年9月28日、9回裏2-6から全盛期の江川を打ち崩した奇跡の同点劇は、豊田のレフト前ヒットから始まったとされている(同年の中日リーグ優勝のターニングポイントとする意見も多い)。 1988年の現役引退後は中日コーチ、関東・北信越地区担当のスカウトを務め、2008年シーズン終了時より堂上照に代わりナゴヤ球場に隣接する選手寮「昇竜館」の館長に就任〔昇竜館・豊田新館長 スカウトから生活指導へ 中日スポーツ 2008年10月30日〕。2014年シーズン終了後退任した〔中日2軍コーチに松岡功祐氏招へい、日刊スポーツ、2014年10月22日〕。 実弟の豊田和泰(外野手、日大三高~明大~日本鋼管)は明大4年時の1980年春に首位打者を獲得しており、東京六大学初の兄弟首位打者として話題となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「豊田誠佑」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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