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豊田 達郎(とよだ たつろう、1929年6月1日 - )は、日本の実業家。学位は経営学修士(ニューヨーク大学経営大学院)。トヨタ自動車株式会社相談役、公益財団法人トヨタ財団会長(第2代)、学校法人トヨタ学園理事長(第2代)。 ニュー・ユナイテッド・モーター・マニュファクチャリング社長(初代)、トヨタ自動車株式会社社長(第2代、工販分離前から数えると第7代〔トヨタ自動車75年史 歴代の会長・副会長・社長(含 受章歴) トヨタ公式サイト〕)、トヨタ自動車株式会社副会長、学校法人トヨタ名古屋整備学園理事長(第2代)などを歴任した。 == 来歴・人物 == 愛知県名古屋市白壁町出身。東京市赤坂の父・喜一郎宅に住み、東京都立第一中学校に通う。今井敬は中学の同期。1945年5月に空襲で自宅が焼失した際に豊田家の位牌をもち脱出した〔「豊田章一郎(5)戦争 「先行き厳しい」父が予見 赤坂の家は空襲受け焼失」 〕。 第一高等学校を経て、1953年に東京大学工学部機械工学科を卒業した。ニューヨーク大学経営大学院にて経営学修士(MBA)を取得した。 父・喜一郎没後の1953年、トヨタ自動車販売に入社した。1974年に取締役、1980年にトヨタ自動車販売取締役、1982年に工販合併でトヨタ自動車常務に就任した。1984年にフリーモント準備室長としてトヨタ自動車とゼネラルモーターズの合弁新会社「ニュー・ユナイテッド・モーター・マニュファクチャリング」(NUMMI)を設立し、社長に就任した。以後トヨタ自動車専務、副社長を経て、1992年に社長に就任した。 1995年に病気療養のため取締役副会長、取締役相談役 (後に非取締役に) となる。1996年に経済同友会副代表、他に、日本自動車工業会最高顧問、豊田中央研究所代表、トヨタ学園理事長、トヨタ財団会長など。 病気療養によりトヨタ自動車副会長退任後も、豊田工業大学とシカゴ大学の共同事業としての大学院大学(Toyota Technological Institute at Chicago:豊田工業大学シカゴ校)設立に参加し、2003年にはその最初の入学式に渡米して出席するなど、足は不自由であるものの、精力的に活動している。 現在、豊田自動織機取締役を兼務する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「豊田達郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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