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豊階 安人(とよしな の やすひと、延暦16年(797年) - 貞観3年9月24日(861年10月31日))は、平安時代前期の貴族・学者。氏姓は河俣公のち豊階公、豊階真人。官位は正五位上・刑部大輔。 == 経歴 == 河俣氏(河俣公)は河内国若江郡川俣郷(現在の大阪府東大阪市川俣)を本拠とした豪族で、彦坐命の子である沢道彦命の後裔とされる皇別氏族〔『新撰姓氏録』河内国皇別〕。 河内国大県郡出身。延暦19年(800年)一族の河俣御影が豊階(豊階公)に改姓し、安人も豊階姓となる。若い頃から聡明で、度量があり、好学により名が知られていた。史伝を広く読破したが、特に漢書に精通していた。 承和5年(838年)少内記に任ぜられ、承和9年(842年)には、渤海客使・小野恒柯らとともに、渤海使が持参した文書についての上奏を行っている。のちに大内記を経て、承和15年(848年)外従五位下に叙せられる。嘉祥2年(849年)皇太子・道康親王の東宮学士となり、翌嘉祥3年(850年)道康親王の即位(文徳天皇)に伴い従五位上に昇叙される。 文徳朝では、丹後権守・尾張権守・図書頭・掃部頭・大学頭を歴任し、天安2年(858年)には皇太子・惟仁親王の学士となり、二代続けて東宮学士を務めた。また、仁寿2年(852年)平安京への本貫の移籍と公から真人への改姓を奏上し許されている。 天安2年(858年)11月の惟仁親王の即位(清和天皇)に伴い、正五位上に叙せられる。貞観3年(861年)2月刑部大輔に任ぜられるが、同年9月24日卒去。享年65。最終官位は正五位上行刑部大輔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「豊階安人」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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