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貝洲加藤神社 : ミニ英和和英辞書
貝洲加藤神社[かいずかとうじんじゃ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かい]
 【名詞】 1. shell 2. shellfish 
: [か]
 【名詞】 1. addition 2. increase 
: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [かみ]
 【名詞】 1. god 
神社 : [じんじゃ, かむやしろ]
 【名詞】 1. Shinto shrine 
: [やしろ]
 (n) shrine (usually Shinto)

貝洲加藤神社 : ウィキペディア日本語版
貝洲加藤神社[かいずかとうじんじゃ]

貝洲加藤神社(かいずかとうじんじゃ)は、熊本県八代市鏡町貝洲に鎮座する神社である。御祭神は加藤清正公。旧社格は村社。
== 由緒 ==
熊本県八代市鏡町は、総面積の約80パーセントが海を埋め立てた干拓により開かれた土地である。鏡町近郊の干拓工事は、熊本藩主細川氏のもと、江戸時代元禄期(1688年 - 1704年)頃よりはじまっているが、鹿子木量平(かのごき りょうへい、1753年 - 1851年)が中心となって行われた工事は特に大規模である〔角川日本地名大辞典編纂委員会編 『角川日本地名大辞典43 熊本県』 角川書店、1987、285頁〕。
鹿子木量平は、工事に臨む際、土木工事・新田開発の先駆者として加藤清正の神霊に祈った。そして息子の謙之助らと共に、1805年文化3年)より1822年文政5年)にかけて、100町、400町、700町という3度の大干拓工事を、困難の末に成功させた〔熊本日日新聞編纂・発行『熊本県大百科事典』、1982、156頁〕。
1822年(文政5年)、工事の完了後、量平は加藤清正霊の加護に報いるため、清正公を祀る本妙寺浄池廟より分霊を勧請し、新しい地域の守護神として神殿を創建した。はじめは神道と仏教の両部の宮寺であったが、1870年明治3年)、神仏分離令により神祭に改め、村社に列した〔永松豊蔵編著 『鏡町史 上巻』 鏡町、1982、704-706頁〕。
なお、鹿子木量平は、その遺徳を追慕して八代市鏡町の文政神社に祀られている〔加藤秀俊ほか編纂『人づくり風土記43 熊本』農山漁村文化協会、1990、319-326頁〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「貝洲加藤神社」の詳細全文を読む




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