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貞保親王(さだやすしんのう)は平安時代前期から中期にかけての皇族。清和天皇の第四皇子で、母は藤原高子。陽成天皇の同母弟にあたる。南院式部卿宮〔『一代要記』「清和天皇皇子」。〕、桂親王と号す〔『歴代編年集成 十四』「清和天皇」。〕。 == 経歴 == 貞観12年9月13日(870年10月11日)、清和天皇の第四皇子として誕生。貞観15年(873年)4月21日、親王宣下〔『日本三代実録』貞観15年4月21日条。〕。元慶2年(878年)飛香舎にて、蒙求をはじめて読んでいる〔『日本三代実録』元慶2年8月25日条。原典には「披香舎」とあり。〕。侍読は橘広相が務めた。元慶6年(882年)正月2日、陽成天皇と同日に元服して三品に叙せられる〔『日本三代実録』元慶6年正月2日条。〕。4月28日は上野太守に任ぜられた〔『日本三代実録』元慶6年4月28日条。〕。 仁和2年(886年)6月には右相撲司別当に補任。寛平3年(891年)の母・藤原高子の五十賀では屏風を奉った。 その後、中務卿・式部卿・兵部卿を歴任して、二品に至る。延長2年6月19日(924年7月23日)に薨去した。享年55。南宮・東一条第の邸宅は後に藤原忠平に渡り、花山院として整備された〔『拾芥抄』『古今著聞集』。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「貞保親王」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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