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貞宗(さだむね(生没年不詳:元応元年(1319年(3月11日)〔本覚寺過去帳から、 正宗二十二世孫の山村綱広が記した「刀匠の秘密厳守」(日本刀講座 ; 9)p.28 〕、一説に貞和5年(1349年) 没か))は、鎌倉時代末期の相模国(神奈川県)の刀工で、正宗の子、または養子と伝えられ、現存在銘刀はないが相州伝の代表的刀匠とされている。 == 系譜 == 貞宗の名は最古の刀剣書である観智院本『銘尽』に初めて現れる(同書は応永30年(1423年)の写本だが、本文には正和5年(1316年)に記載された内容を含む)〔 国立国会図書館の貴重書、応仁30年(1423年)の写本 http://rarebook.ndl.go.jp/〕)。 そこには「正宗五郎入道 貞宗 彦四郎左衛門尉ニにんす」とあり、直接の親子関係は示されていない。 正宗との系譜は注1〔、注2〔以外に、文明15年(1483年)に書かれた 『能阿弥本銘尽』に「江州高木ニ住間号高木彦四郎、五郎入道子」と記され〔 『能阿弥本銘尽』刀剣博物館蔵〕〔以上の刀剣古伝書に関する記述は、、による。〕)、現存在銘刀はないが、実在の刀匠である。 また、文亀元年(1501年)の『宇都宮銘鑑』に次のように記される。 正宗┬広光 九郎次郎─秋広 貞治頃 └貞宗 彦四郎 また、「天正7年(1579年)竹屋理庵本」には次のように記される。 正宗┬貞宗 正宗長男彦四郎 ├広光 同弟子九郎次郎 『能阿弥本』以下3つの系図は貞宗在世時の150-200年後のもので貞宗に在銘刀がないので傍証になるが、正宗の弟子であり、子、または養子と伝えられる。 貞宗の鑑定は正宗や、その師新藤五国光や、貞宗子とされる秋広、あるいは特に初代信国(上記刀剣鑑定書に記されないが貞宗弟子とされる刀匠)などの刀や刀銘年記により行われている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「貞宗」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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