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貞観地震(じょうがんじしん)は、平安時代前期の貞観11年5月26日(ユリウス暦869年7月9日〔 (産業技術総合研究所活断層・地震研究センター)〕、 グレゴリオ暦7月13日)に、日本の陸奥国東方沖(日本海溝付近)の海底を震源域として発生したと推定されている巨大地震である。地震の規模は少なくともマグニチュード8.3以上であったとされる。地震に伴って発生した津波による被害も甚大であった。 この地域に周期的に発生する三陸沖地震の1つとして理解されてきたため、貞観三陸地震と呼称されることがある。 「東北地方太平洋沖地震」(東日本大震災)が、この地震の再来ではないかと言われている。 == 歴史書における記述 == 延喜元年(901年)に成立した史書『日本三代実録』(日本紀略、類聚国史一七一)には、この地震に関する記述がいくつか記されている。 貞観11年5月26日(ユリウス暦869年7月9日)の大地震発生とその後の被害状況については、次のように伝える。 上記の史料にある「陸奥國」の「城」は多賀城であったと推定されており、多賀城市の市川橋遺跡からは濁流で道路が破壊された痕跡も発見されているが、はっきり明記されているわけではないので異説もある。「流光如晝隱映」の部分は、地震に伴う宏観異常現象の一種である発光現象について述べた最初の記録であるとされる。 「去海數十百里」は原本では「去海數千百里」であるが、当時の1里 = 6 丁(約650 m)であるとしてもこれは喫驚せざるを得ずとし、「去海」は海岸から津波で浸水した城郭までの距離を表し、多賀城から湊までは50丁位(約5.5km)にも満たないから、「數十百里」(30 - 65 km?)が妥当であるとしている〔。また、「數十百里」であるとしても正鵠を失ったものであるとし、これは「沿海數十百里」と読むべきとする説もある〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「貞観地震」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 869 Sanriku earthquake 」があります。 スポンサード リンク
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