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貞閑 ( リダイレクト:田捨女 ) : ウィキペディア日本語版
田捨女[でん すてじょ]

田 捨女または、田 ステ女(でん すてじょ/すてめ、1634年寛永11年) – 1698年9月13日元禄11年8月10日))は、江戸時代の女流歌人俳人貞門派女流六歌仙(六俳仙)の1人。
氏名は田ステで、「女」は名の一部ではなく女流歌人の名に添える接尾辞である。法名は貞閑で、貞閑尼とも呼ぶ。
== 経歴 ==
田捨女は1634年、丹波国氷上郡柏原藩(現在の兵庫県丹波市柏原地域、当時の藩主は織田信勝)に、柏原藩の庄屋で代官も務めた田季繁の娘として誕生した。
6歳のときという俳句を詠み、周囲にその才を認められる。後に北村季吟に師事。1674年延宝2年)夫が死去したため髪を下ろし妙融と号した。この頃にはすでに貞門女流六歌仙の1人として著名であった。
その後子供らの独立を見届けた後、京都で俳諧・仏道などの修行を重ねた後、1688年(元禄元年)播磨国天徳山龍門寺の傍らに「不徹庵」という庵を構え、貞閑と改名。その地で後進の指導に当たった。
1698年に死去し龍門寺に葬られた。龍門寺には現在も捨女の墓がある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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