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財津 一郎(ざいつ いちろう、男性、1934年2月22日 - )は、日本の俳優、コメディアン、歌手である。本名、財津 永栄(ざいつ ながひで)。旧芸名は財津肇メ。熊本県立済々黌高等学校卒業。 == 略歴 == 熊本県熊本市出身。父親は農林省(現:農林水産省)の役人で3人兄弟の末っ子として東京に住んでいたが、その父親が中国へ出征し、1944年一家は故郷の熊本へ疎開、終戦後も高校を卒業するまでを熊本で過ごした〔NHK「わたしが子どもだったころ」〕。 1953年上京後早大文学部演劇学科受験に失敗。アルバイト生活をしつつ、当時東京都大田区にあった榎本健一映画演劇研究所(いわゆるエノケン学校)で演技の勉強をする。同時に帝劇ミュージカルの研究生になる。 1955年に帝劇ミュージカル解散の後、財津肇メ(ざいつ はじめ)の芸名で石井均一座に入門(このとき楽屋の化粧前でばったり会ったのが現在の伊東四朗である)。また新宿の劇団「ムーラン」の舞台に立った。その「ムーラン」も数年後解散の憂き目に遭い、一時は大阪からやり直しと宝塚新芸座からOSミュージックホールと歩いた。1964年、吉本新喜劇に参加、芸名を現在の財津一郎に改める。 新喜劇では初期はサラリーマン役が多かったが、その後「老け役」が多くなっていったと言う。 藤田まこと主演のテレビ番組『てなもんや三度笠』に浪人・蛇口一角(じゃぐち いっかく)役で出演、手を頭の後ろから回して反対側の耳をつかみ、甲高い声で叫ぶ「非っ常にキビシ〜ッ!」、「〜してチョウダィ!」のギャグや、抜いた刀の刃を蛇のように舐めまわす、といった奇怪な動きが評判となり、一世を風靡した。当初はギャグで言った台詞ではなかったそうで、演技中に突発的に奇声を発すると予想外に受けたことが由来である。途中から、写真師・桜富士夫(さくら ふじお)役に変更になるが、レギュラー陣の一角を担った。当初はレギュラー出演の予定ではなかったが、奇人変人ぶりがあまりにも好評だったため、レギュラー化して同番組の最終回まで出演した。ちなみに役名の蛇口一角は忠臣蔵の清水一角(しみず いっかく)のもじり、桜富士夫はフィルムのブランドのさくらカラー(現:コニカミノルタ)とフジカラーからとられたものである。 その後は主にドラマや映画を中心に、活躍している。1981年の東宝映画『連合艦隊』では、戦艦大和の乗組員であり、中井貴一扮する神風特別攻撃隊に志願した青年の父親でもある海軍兵曹長役を演じた。また、2004年に放送されたNHKの朝ドラ『天花』では主人公・佐藤天花(藤澤恵麻)の成長を見守る祖父役として重厚な演技を見せている。財津が61歳の時に脳内出血を発症し左半身に軽い麻痺が残ったが、リハビリに励んだ結果3か月後にはドラマの仕事に復帰した。 タケモトピアノのCMに出演していることでも知られ、CM中の財津の歌声を聞くと赤ちゃんの泣き声が止まると「探偵ナイトスクープ」などで紹介された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「財津一郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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