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貴昆線(きこんせん)は中華人民共和国の鉄道路線。貴州省貴陽市と雲南省昆明市を連絡する。1958年に起工、1966年3月に完成、1990年7月全線電化工事画完了した。世界銀行から2億ドル程度融資を受けて複線化の工事がされた。 2006年12月31日:滬杭線、、湘黔線と合併して滬昆線となった。 2008年2月には格以頭駅で入換作業を行っていた貨物列車が宣威駅方面に暴走し脱線横転、民家を圧壊する事故が発生し住民が被害にあった。 == 叙昆線・昆沾線 == 貴昆線は、かつて昆明-叙府(現在の四川省宜賓市)を結ぶ予定で建設され、建設途中となっていた「叙昆線」の路線を転用している。 叙昆線は四川省の商業都市宜賓市と昆明市を連絡することを目的に計画され、1905年(光緒33年)に民間での建設を行うための資金 380万両が集められたが、政変などにより計画は実行されなかった。 1938年(民国27年)に四川省及び雲南省国民党政府の合意により建設が決定、同年11月1日に滇越線の鉄道規格(軌間1,000mmのメーターゲージ)に準じて建設が開始された。当初の予定では、昆明から曲靖、宣威、威寧、彝良、大湾子、塩津県、安阜(現在の水富県)を経由して宜賓に至る予定であった。 しかし、1940年(民国29年)、日本の仏印進駐によって資材搬入が不可能となったが、その際に日本軍の進入を妨害するために破壊した滇越線のレール162Km分を流用しての建設が継続された。 1942年(民国31年)、日本軍によるビルマ占領にともない滇緬線の建設が中断、1944年(民国33年)に沾益県に飛行場が設置されると米軍の空輸支援を受け、滇緬線のレールも転用しての建設が続けられた。1944年(民国33年)5月1日に昆明-沾益間の173Kmが開通、昆沾線と改名された。 戦後、昆沾線はメーターゲージ鉄道として活躍したが、1961年に貴昆線の建設が開始されると、昆沾線からの転用部分はメーターゲージから標準軌に改軌され、残りの部分は1970年までに撤去された。現在、昆明から小石壩駅までの僅かな区間が、昆小線としてメーターゲージで残っている。 なお、2003年には貴昆線から分岐し、かつての叙昆線で目指した宜賓市から内江市へ到る内昆線が開通している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「貴昆線」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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