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賀 国光(が こくこう)は、中華民国の軍人・政治家。初めは北京政府・直隷派の軍人だったが、後に北伐中の国民革命軍に転じる。日中戦争期間中には、四川省で戦争体制作りに尽力した。字は元靖。 == 事跡 == === 直隷派から国民革命軍へ === 当初は旧学を学んでいたが、19歳の時に四川省へ赴いて陸軍速成学校に入学し、高級班に進級した。卒業後は四川新軍に属している。武昌起義(辛亥革命)が勃発すると、帰郷して革命派の湖北軍に加わった。1913年(民国2年)、陸軍大学第4期正則班に入学し、1916年(民国5年)12月に卒業すると湖北省に戻り、北京政府側の鄂軍(湖北軍)に属している。以後、順調に昇進し、1925年(民国14年)冬には、直隷派の呉佩孚配下として陸軍第15軍軍長兼開封警備司令にまでなった。〔徐主編(2007)、2105頁。〕〔劉国銘主編(2005)、1797頁。〕 1926年(民国15年)秋、国民革命軍が武漢まで進軍してくると、賀国光は易幟を行い、唐生智らの国民革命軍に転じた。これにより、新編第4軍軍長に任ぜられている。1927年(民国16年)秋、国民政府軍事委員会陸軍処処長兼武漢衛戌副司令に任ぜられた。まもなく南京に転任し、軍事委員会高級参謀に任ぜられ、1928年(民国17年)8月には、軍事委員会弁公庁主任となっている。同年11月、国民政府訓練総監部歩兵監に任ぜられた。以後、建設委員会委員、国軍編遣委員会遣置局局長、国民革命軍総司令部参謀長、武漢行営参謀長兼第1縦隊司令、湖北省政府委員などを歴任している。〔〔〔東亜問題調査会編(1941)、34頁。〕 1929年(民国18年)冬、第1路軍総指揮部参謀長に任ぜられる。翌年の中原大戦では、命令伝達所長を兼任し、12月、南昌行営参謀長兼作戦庁庁長に転じた。1931年(民国20年)12月、訓練総監部副監兼首都警備副司令となる。翌1932年(民国21年)4月、軍事委員会第3庁副庁長兼贛粤閩湘四省剿匪総部参謀長に任ぜられ、紅軍討伐に従事した。1934年(民国23年)2月、軍事委員会第2庁副庁長に転じる。〔〔〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「賀国光」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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