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賀島 政之(かしま まさゆき、延宝4年(1676年) - 享保17年8月6日(1732年9月24日))は、徳島藩家老賀島家6代当主。 父は賀島冬知。母は長江貞辰の女。養父は賀島重郷。子は賀島政直、賀島政朝、賀島政良。幼名は半太郎。通称は和泉、主水。 == 経歴 == 延宝4年(1676年)賀島冬知の子として生まれる。父冬知は4代重玄の弟。天和3年(1683年)藩主蜂須賀綱矩に御目見。元禄4年(1691年)元服。貞享2年(1685年)本家賀島重郷の遺跡を相続。元禄7年(1694年)仕置家老を拝命する。享保元年(1716年)長男政直が仕置家老となる。享保12年(1727年)相続時に藩に召し上げとなっていた旧領那賀郡中林村、名東郡黒田村を返還される。享保13年(1728年)病の政之に代わって、江戸に出府していた長男政直が、藩主蜂須賀宗員の不興を被り、国許に戻されて閉門処分となる。享保15年(1730年)失政を咎められ、家老職を解任されて、隠居閉門を命じられる。家督は、子の政朝が養子先から実家に戻り、6000石に減封されて相続した。享保17年(1732年)8月6日死去。享年57。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「賀島政之」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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