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賀川 光夫(かがわ みつお、1923年(大正12年)1月5日 - 2001年(平成13年)3月9日)は、日本の考古学者。 == 略歴 == 栃木県烏山町(現那須烏山市)出身。1944年(昭和19年)、日本大学法文学部在学中に学徒出陣で応召し、宇佐海軍航空隊に配属。広島市への原子爆弾投下の際には九七式艦上攻撃機で広島への偵察を行なった。 1947年(昭和22年)、日大法文学部卒業後、大分県文化財委員会などを歴任し、別府大学文学部教授(後に名誉教授)を務め、大分県を中心に、旧石器時代から中世に至るまでの広範囲の遺跡の発掘調査に関わり、九州の考古学のパイオニアと目された。主な研究は縄文農耕論で、縄文時代晩期に九州に見られる黒川式土器と中国の黒陶との類似性や黒川式土器に籾痕がみられることから、縄文時代晩期には既に稲作が行なわれていたと主張した。 大陸との文化交流の研究にも力を注いだ他、文化財保護や修復復元にも尽力し、臼杵磨崖仏の復元保存、国宝指定に深く関わった。教育者としては、行政機関に多数の文化財担当者を育成するなど、文化財行政の発展に寄与した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「賀川光夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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