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賀茂保憲 : ミニ英和和英辞書
賀茂保憲[かも の やすのり]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほ]
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賀茂保憲 : ウィキペディア日本語版
賀茂保憲[かも の やすのり]
賀茂 保憲(かも の やすのり、延喜17年(917年) - 貞元2年2月22日977年3月14日))は、平安時代中期の貴族陰陽家丹波権介賀茂忠行の長男。安倍晴明の師とも、また彼の兄弟子とも言われる。弟に慶滋保胤がいる。官位従四位上主計頭
== 経歴 ==
父の賀茂忠行と同じく陰陽道の達人で、当時の陰陽道の模範とされるほどの評価を得ていた〔「當朝以保憲、為陰陽之規模」『左経記』〕。また暦道も究めて、著書『暦林』10巻、及び『保憲抄』(いずれも散逸)を記している。
天慶4年(941年7月17日に暦生ながら造暦宣旨を蒙って以降、暦博士天文博士陰陽頭穀倉院別当主計頭を歴任し、天延2年(974年)には従四位上に叙せられる。当時の陰陽家のなかに於いても極めて昇進が早く、天暦6年(952年)既に従五位下に叙せられ殿上人となっていた保憲は、当時正六位上であった父・忠行よりも位階が上になっていることに申し訳なさを感じ、大江朝綱を通じて父の昇進を願い出たこともあった。
陰陽道のうち、暦道を子息の賀茂光栄に、天文道安倍晴明に継がせて、陰陽道宗家を二分したことが知られている。『続古事談』によれば、安倍晴明と賀茂光栄との間で、どちらが師匠の賀茂保憲に気重されていたかの論争があったという。
保憲の残した『暦林』を元に後世書かれた『暦林問答集』は、現代においてもいわゆる旧暦を読む際の重要な資料となっており、後の暦法の発展は彼がいなければなかったといえる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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