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賀茂 吉備麻呂(かも の きびまろ、生没年不詳)は、飛鳥時代から奈良時代にかけての貴族。氏は鴨とも記される。姓は朝臣。贈直広参・鴨蝦夷の子とする系図がある〔鈴木真年『百家系図』巻55,賀茂朝臣〕。官位は従四位下・播磨守。 == 経歴 == 文武天皇5年(701年)遣唐中位(判官)に任ぜられ(この時の官位は進大壱(大初位上相当)・刑部判事)、翌大宝2年(702年)渡唐する。慶雲4年(707年)3月に遣唐副使・巨勢邑治らとともに帰国〔『続日本紀』慶雲4年3月2日条〕、同年5月に渡唐の功労により綿・麻布・鍬・籾を賜与され〔『続日本紀』慶雲4年5月15日条〕、8月には従七位上から一挙に七階昇進して従五位下に叙爵された。 和銅元年(708年)下総守に任ぜられるが、間もなく下総守は佐伯百足に交替し、吉備麻呂は玄蕃頭に転任する。和銅6年(713年)二階昇進して正五位下となる。 霊亀3年(717年)河内守として地方官に遷ると、養老年間初頭に播磨守、養老3年(719年)には按察使に任ぜられて備前国・美作国・備中国・淡路国の4ヶ国を管轄するなど、元正朝では地方官を歴任し、この間の養老2年(718年)に従四位下に至っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「賀茂吉備麻呂」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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