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賀茂忠行[かも の ただゆき] 賀茂 忠行(かも の ただゆき、生没年不詳。一説には天徳4年(960年)没))は、平安時代前期から中期にかけての貴族・陰陽家。安倍晴明の師とされる。父親は明確でないが、賀茂江人〔『尊卑分脈』、『加茂氏系図』(『群書類従』巻63 所収)〕・賀茂峯雄〔『賀茂系図』(『続群書類従』巻第167 所収)、『仁和寺文書』〕・賀茂直峯〔鈴木真年『史略名称訓義』(宝賀寿男『古代氏族系図集成』古代氏族研究会,1986年 による)〕の説がある。官位は従五位下・丹波権介。 陰陽の術に優れ、時の帝から絶対的な信頼を得た。特に覆物の中身を当てる「射覆」を得意とし、帝の前でそれを披露した事もあった。安倍晴明を見出し、彼に「まるで瓶の水を移すかのように」〔『今昔物語集』〕陰陽道の真髄を教えたという。丹波権介・但馬丞を歴任、一説には陰陽頭も歴任したともいうが、確証はない。 ==実績== 賀茂忠行は覆物の中身を当てる「射覆」が得意であったといわれ、延喜年間に時の醍醐天皇からこの腕を披露するように命じられた。忠行の目の前には八角形の箱が目の前に出され、これを占った結果は「朱の紐でくくられている水晶の数珠」である事を見事的中させ、「天下に並ぶもの無し」と賞賛されている(今昔物語)。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「賀茂忠行」の詳細全文を読む
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