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賀茂忠行 : ウィキペディア日本語版
賀茂忠行[かも の ただゆき]
賀茂 忠行(かも の ただゆき、生没年不詳。一説には天徳4年(960年)没))は、平安時代前期から中期にかけての貴族陰陽家安倍晴明の師とされる。父親は明確でないが、賀茂江人〔『尊卑分脈』、『加茂氏系図』(『群書類従』巻63 所収)〕・賀茂峯雄〔『賀茂系図』(『続群書類従』巻第167 所収)、『仁和寺文書』〕・賀茂直峯〔鈴木真年『史略名称訓義』(宝賀寿男『古代氏族系図集成』古代氏族研究会,1986年 による)〕の説がある。官位従五位下丹波権介
陰陽の術に優れ、時のから絶対的な信頼を得た。特に覆物の中身を当てる「射覆」を得意とし、帝の前でそれを披露した事もあった。安倍晴明を見出し、彼に「まるで瓶の水を移すかのように」〔『今昔物語集』〕陰陽道の真髄を教えたという。丹波権介・但馬丞を歴任、一説には陰陽頭も歴任したともいうが、確証はない。
==実績==
賀茂忠行は覆物の中身を当てる「射覆」が得意であったといわれ、延喜年間に時の醍醐天皇からこの腕を披露するように命じられた。忠行の目の前には八角形の箱が目の前に出され、これを占った結果は「朱の紐でくくられている水晶数珠」である事を見事的中させ、「天下に並ぶもの無し」と賞賛されている(今昔物語)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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