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治憲王(はるのりおう、1926年7月3日 - 2011年6月5日)は、日本の旧皇族、外交官。賀陽宮恒憲王の第2王子。海軍兵学校75期。 == 略歴 == 1926年7月3日誕生。旧制学習院初等科・学習院中等科を経て、1943年12月1日、江田島海軍兵学校に入学。井上成美中将のもとで学んだ。入校式においては皇族の生徒として紹介を受け、同期生の敬礼を受けている(広島中央放送局ニュース再録に記録あり)。 王が入学した75期は生徒数が多かったため生徒は分校に振り分けられ、王は岩国分校で教育を受けた。分校においては柔道を選択、練成した。最高裁判所長官・三好達、高瀬国雄、海上幕僚長・吉田學らは75期の同期生である。 敗戦後の1945年10月1日、兵学校を卒業。このため最終階級は少尉候補生ということになる。1946年7月、貴族院皇族議員となる。 1947年10月14日、11宮家の皇籍離脱が行われた際、王も皇籍を離脱、賀陽 治憲(かや はるのり)となる(『官報』 第六二二六号 昭和二十二年十月十四日 告示 宮内府告示第十六号)。 その後1950年東京大学法学部を卒業、外務省に入省。ジュネーブ国際機関日本政府代表部公使、外務省経済局次長、領事移住部長を経て、1979年から1981年まで国連局長。1981年在イスラエル特命全権大使、1983年在デンマーク特命全権大使、1987年外務省研修所長、1989年ブラジル特命全権大使。財団法人交流協会顧問と要職を歴任した。1970年代後半の国会議事において複数回政府委員として答弁を行った記録が国会会議録に残されている。 昭和天皇はその存在を気にかけていたようであり、天皇が「賀陽はどうしているか」と安倍晋太郎外相に動向を尋ねたといった逸話も残っている。侍従長入江相政は日記の中で「皇族、舊(旧)皇族のうちのまさにピカ一。こんな方がもう少しゐて下されば。」と書いている〔親王・諸王略伝 〕。1996年勲二等旭日重光章。1996年からは憩の園在日協力会会長を務め、学習院の同窓会桜友会の会長(第5代)も務めた。 2011年6月5日、老衰のため東京都稲城市の病院で死去。84歳没〔。叙・従三位。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「治憲王」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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