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賄征伐(まかないせいばつ)とは、寮に寄宿する生徒・学生が、食事の賄方に対して起こした学校騒動。日本の明治時代を中心に、旧制高等学校などで広く行われた。 == 内容 == 旧制高等学校の学生寮などの食事は、発足時から賄業者によって運営されていた。しかし当時の寮食の内容は、学生の要求を満たすものではなかった。そのことによる学生の不満が態度となって現れたのが賄征伐である〔上村(1992) p.39〕。 征伐の内容は様々であり、たとえば、用意された米を全部食べてしまって、もっと寄こせと言ってみたり、机をしきりに叩いたり、茶碗や皿などを投げ付けて壊したりした。時には賄方との間で暴力沙汰にまで発展することもあった〔上村(1992) pp.40-42〕〔福田(2007.10) p.234〕。賄征伐は古くは旧制高等学校以前にも慶應義塾などで行われた例がある〔坪内(2011) p.102〕。その後日本の各地で行われるようになり、明治学生生活の側面史をなすとも言われている〔柴田(2006) p.65〕。 賄征伐を起こした学生に対しては、学校側から戒告や退学などの処分が下されることがあった。たとえば1883年(明治16年)に東京大学で起こった賄征伐では、146名が退学処分となり、そのうえ、他の官立学校および公立・私立の学校への再入学も禁止するという、重い条件が課された。しかしこの時はこれに反対する声も相次ぎ、退学処分を受けた学生は後に復学することとなった(明治十六年事件)。この時復学した学生に、平沼騏一郎、奥田義人、日置益がいる〔柴田(2006) p.66〕。 賄征伐の動機は、食生活に対する不満だけではないとも言われている。当時の寄宿寮は細かな決まりごとによって寮生の行動を規制していた。それに対する寮生の不満やうっぷんが賄征伐という形で現れたとする見解である〔新日本古典文学大系(2003) p.328〕〔筧田(1975) pp.46-47〕。また学校や寮の改革を求めて行った賄征伐もあり、このことから賄征伐は当時の学生にとっての政治的原体験であったとの見解もある〔。その一方で、学生にはそういった大層な意図はなく、面白半分の要素が強かったのではないかとする論調も存在する〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「賄征伐」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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