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株式会社赤トリヰ(あかとりい)は、福島県須賀川市に本社を置き、かつて百貨店やスーパーマーケットを経営していた企業である。 なお、大型小売店事業からの撤退後、法人名を「吉田興産」に変更している〔。 == 歴史・概要 == 1905年(明治38年)にメリヤス製品・洋傘店として創業し、1967年(昭和42年)に中町に百貨店の赤トリヰショッピングデパートを開店し〔、1976年(昭和51年)12月に地上5階地下1階の大型店に改築した〔。 1981年(昭和56年)10月27日に郊外に店舗を開設してモータリゼーションに対応し、1996年(平成8年)にはマイカルの傘下に入り、社名をマイカル福島にすると共に郊外店舗の名称を同社の店舗ブランドを採用して須賀川サティへ変更した〔“マイカル福島「赤トリヰ」に社名変更 3月1日スタート”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2003年2月17日)〕。 この2店舗の他に本宮市舘町に本宮店を展開する〔“赤トリヰ本宮店跡地にベニマル店舗を移転”. 福島民友新聞 (福島民友新聞社). (2011年3月8日)〕など最盛期には3店舗を運営していた。 2000年(平成12年)1月10日に売上が低迷していた赤トリヰ須賀川店を閉店して須賀川サティに営業の本拠を移転させた〔。 マイカルの破綻を受けて2003年(平成15年)3月1日にマイカルグループから離脱して社名を赤トリヰに戻すと共に店舗名も赤トリヰグリーンモールにして再び地場資本の小売企業として自立した経営に移行した〔。 2004年(平成16年)3月9日に須賀川店をスーパーマーケット赤トリヰ中町店として営業を再開させて中心市街地で店舗周辺の商店街の活性化を目指したが〔“再開1年余 31日に閉店 赤トリヰ中町店”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2005年5月27日)〕、商店街のコミュニティーが崩壊して足並みが揃わなかったことなども影響して〔“試される自治第1部「どうする中心市街地」商店街の一体化不可欠 足並み狂わす「自分だけ」の姿勢”. 読売新聞 (読売新聞社). (2005年6月21日)〕集客や売上が伸び悩み〔、再開店から1年ちょっとの2005年(平成17年)5月31日に再び閉店した〔。 同年11月9日に中町店の土地と建物を約1.1億円で須賀川市に譲渡して2007年(平成19年)から〔“須賀川市、旧百貨店店舗を取得 07年度から福祉施設に”. 河北新報 (河北新報社). (2005年11月10日)〕総合福祉センターとして活用されることになった〔“大型店閉店後の土地・建物の活用方法(福島県須賀川市など)”. 月刊まちづくり情報 第13号 (都市計画協会) (2005年12月).〕。 2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋地震の影響で建物に甚大な損傷が発生しながらも、震災後一時営業を再開したが安全的見解から4月29日をもって閉店し、パートを含む従業員約150人は全員を解雇して小売企業としての営業活動を事実上休止した〔“須賀川の赤トリヰグリーンモール、閉店”. 福島民報 (福島民報). (2011年4月30日)〕。 閉店時には新店舗の開設後に積極的に再雇用する方針としていた〔が、2012年(平成24年)にヨークベニマルやホーマックなど5店舗が入居する「フレスポ須賀川グリーンモール」が赤トリヰグリーンモールの跡地に開業することを発表し〔“福島県須賀川市に「フレスポ須賀川」ヨークベニマル・ホーマック・サンドラッグなど5店 【赤トリヰグリーンモール跡】に来春開業”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2012年9月10日)〕、同社自体が直営で大型小売店事業を再開しないことが表明。 2013年(平成25年)9月20日に「赤トリヰ」グリーンモール店跡地に複合商業施設フレスポ須賀川グリーンモールが開店した〔。 なお、大型小売店事業からの撤退後、法人名を「吉田興産」に変更している〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「赤トリヰ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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