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赤尾清綱 : ミニ英和和英辞書
赤尾清綱[あかお きよつな]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [あか, あけ]
 (n) 1. red 2. crimson 3. scarlet 4. communist
: [お]
 【名詞】 1. tail 2. ridge 

赤尾清綱 : ウィキペディア日本語版
赤尾清綱[あかお きよつな]

赤尾 清綱(あかお きよつな)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将浅井氏の家臣。浅井三将の一人。
== 生涯 ==
永正11年(1514年)、誕生。赤尾氏は近江の国人で、元々は京極氏の傘下であったが、後に海北氏雨森氏と並ぶ「浅井三将」に数えられた。清綱は近江浅井氏初代・浅井亮政の頃から浅井氏に仕えた。当主からの信頼がとりわけ厚く、小谷城内の防衛の要所に赤尾曲輪と呼ばれる居館をもち、そこに在番していた。通常、家臣は城下に武家屋敷を持ち、そこを居館とするものだが、城内に居館を持つのを許されており、その信頼の厚さが窺われる。
久政の代には、同家臣・遠藤直経らとともにその子・長政への家督委譲と久政の隠居を計画、久政が城を出た隙に小谷城を占拠し、長政への家督委譲を認めさせた〔この家督交代劇は、武田信虎から家督を奪い取った武田晴信らの行動と似てはいるが、信虎が生涯躑躅ヶ崎館への帰還が叶わなかったのに対し、久政は長政や家臣らと和解し、すぐに小谷城へ戻っている。〕。長政が当主となった頃には老齢であったため、主に軍目付的な存在として陣中に赴いていたという。また、亮政が六角氏との攻防により一時越前に退避、朝倉氏と同盟を結び再起を図ったという経緯から、家中では朝倉寄りの立場を取りつづけた。
赤尾曲輪を設けて在番し、赤尾美作守として著名となった。
天正元年(1573年)、織田氏との戦いに敗れ捕虜となり、小谷城の戦い信長の目前にてで切腹した(『信長公記』巻六)。
赤尾屋敷と浅井長政が最期まで運命を共にした。
なお、嫡子・虎千代(後の赤尾清冬)の命は、清綱のそれまでの働きと忠義に免じて織田信長直々に助命したといわれている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「赤尾清綱」の詳細全文を読む




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