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赤木 桁平(あかぎ こうへい、1891年2月9日 - 1949年12月10日)は、日本の評論家、政治家。本名は池崎忠孝。初めて夏目漱石の伝記を書いた人物として知られ、また大正期の「遊蕩文学撲滅論」で一世を風靡した。衆議院議員3期(第19回、20回、21回総選挙に当選)。 == 略歴 == 岡山県阿哲郡万歳村(現・新見市)生まれ。東京帝国大学法科大学卒業、在学中夏目漱石門下に入り、漱石命名による「赤木桁平」の筆名で文芸評論を書いたが、中でも、1916年(大正5年)、朝日新聞に載せた「『遊蕩文学』の撲滅」が有名である。これは、当時、花柳界を舞台にした小説が多く、「情話新集」なるシリーズが出ていたのを、「遊蕩文学」と名づけて攻撃したもので、その筆頭たる攻撃目標は近松秋江だったが、ほかに長田幹彦、吉井勇、久保田万太郎、後藤末雄が槍玉に挙げられた。これは論争になったが、久保田や後藤は、攻撃されるほど花柳小説を書いてはいなかったし、当時、東京帝大系で非漱石系の親玉だった小山内薫が反論した中に、なぜ自分や永井荷風が攻撃目標になっていないのか、とあったが、谷崎潤一郎も批判されていなかった。また、もし少しも遊蕩的でない小説を書く者といったら、漱石と小川未明くらいしかいないではないかという反論もあった。谷崎や荷風が攻撃から外されていた点については、赤木が当時谷崎と親しく、谷崎の庇護者だった荷風にも遠慮したからだろうとされている。 卒業後、『萬朝報』に入社し、論説部員を務めた。その後家業を継ぎ、1936年(昭和11年)に衆議院議員に当選し、第1次近衛内閣で文部参与官を務める。本名の池崎忠孝で、1929年以降、日米戦争を必然とする立場から盛な著作活動を行なう〔澤田『近代日本人のアメリカ観』後編第3章「池崎忠孝の日米戦争宿命論」。〕。戦後にA級戦犯に指定されて巣鴨プリズンに収監される。後に病気のため釈放され、そのまま不遇のうちに死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「赤木桁平」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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