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赤松 時勝(あかまつときかつ)は、室町時代中期の武将。赤松満祐の甥に当たる。 赤松満祐の実弟・赤松義雅の子。父の義雅は嘉吉の乱で兄に協力して幕府軍の追討を受け、9月に城山城が落城すると寄せ手の一手を務めていた赤松一族の赤松満政に降参した。しかし義雅は満祐の弟であるとして許されずに自害させられ、当時9歳の幼児だった時勝(千代丸)は満政の庇護を受けて室津に隠された。やがて満政の手配により、建仁寺の天隠龍沢に庇護され、その天隠により大納言の三条実量に身柄を渡され〔『赤松盛衰記』『赤松播城録』では正親町三条公綱の娘とされている。『赤松円心・満祐』吉川弘文館。253頁。〕、所領のあった近江浅井郡丁野村の成願寺で密かに養育された〔『浅井三代記』に丁野が三条家の所領であるとみられている。『赤松円心・満祐』吉川弘文館。253頁。〕。 はじめは僧侶として育てられたが、のちに還俗して時勝と名乗った。康正元年(1455年)に23歳の若さで死去した〔『天隠略伝』と『東山塔頭略伝』大昌院の項では康正元年没であるが、『赤松氏族譜』では延徳3年(1491年)に59歳で没としている(これに関しては誤記とされている)。『赤松円心・満祐』吉川弘文館。254頁・269頁。〕。 赤松家の家督は時勝の死の前後に生まれた息子の次郎法師丸(のちの政則)が継ぎ、彼の時代に赤松家は大名として再興する。 == 脚注 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「赤松時勝」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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