翻訳と辞書
Words near each other
・ 赤松持家
・ 赤松持貞
・ 赤松政之
・ 赤松政元
・ 赤松政則
・ 赤松政宗
・ 赤松政村
・ 赤松政直
・ 赤松政祐
・ 赤松政秀
赤松政範
・ 赤松政茂
・ 赤松教康
・ 赤松教政
・ 赤松教祐
・ 赤松明彦
・ 赤松時則
・ 赤松時勝
・ 赤松晴政
・ 赤松智子


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

赤松政範 : ミニ英和和英辞書
赤松政範[あかまつ まさのり]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [あか, あけ]
 (n) 1. red 2. crimson 3. scarlet 4. communist
赤松 : [あかまつ]
 【名詞】 1. red pine tree 
: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [せい, まつりごと]
 【名詞】 1. rule 2. government 
: [はん]
 【名詞】 1. example 2. model 

赤松政範 : ウィキペディア日本語版
赤松政範[あかまつ まさのり]
赤松 政範(あかまつ まさのり、生年不明 - 天正5年12月3日1578年1月10日))は、戦国時代武将赤松政元の次男。七条赤松氏。上月城主。兄に正満、弟妹に政直政茂横山義祐福原則尚室がいる。子には政宗がいるとされている。受領名は蔵人大輔。
父同様、西播磨殿と呼ばれており、武勇も優れていた。思慮分別もある城主ではあったが、物静かな一面も持っていたという。毛利家と織田家との去就に数年かかるほど、先見の明を持ち家臣のことに思いやりを持つ責任感ある武将であると同時に、優柔不断なところもあった。
天正5年(1577年)、羽柴秀吉が約3万の兵で上月城を攻めた時、宇喜多直家の舎弟で沼城主の宇喜多広維の援軍3千と赤松家本隊7千、合計1万の兵で迎え撃った。しかし、織田軍の猛攻凄まじく敗色濃厚となり、先に妻を刺殺し一族郎党と共に自害した。このとき政範に殉じた将士は高島正澄早瀬正義、宇喜多広維、国府寺入道中村伊勢入道らであった。
一説に、介錯する家臣に、「わしの首を持って織田方に降伏致せ。されど、筑前(秀吉)殿が降伏を許さないならば、謀略をもって即刻首を討つべし」と言ったという。降将らは政範の首を持参して秀吉および黒田官兵衛に助命を乞うたが、秀吉軍はこれを拒否し、官兵衛の命により籠城方は皆殺しにされたと伝わる。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「赤松政範」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.