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赤根谷飛雄太郎 : ミニ英和和英辞書
赤根谷飛雄太郎[あかねや ひゅうたろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [あか, あけ]
 (n) 1. red 2. crimson 3. scarlet 4. communist
: [こん, ね]
 【名詞】 1. root 
: [ひ]
 (n) (abbr) rook (shogi)
: [おす]
 【名詞】 1. male (animal) 

赤根谷飛雄太郎 : ウィキペディア日本語版
赤根谷飛雄太郎[あかねや ひゅうたろう]

赤根谷 飛雄太郎(あかねや ひゅうたろう、1916年1月5日 - 1969年8月22日)は、秋田県秋田市出身のプロ野球選手投手)、野球指導者(秋田市立秋田商業高等学校硬式野球部監督)。
なお、「ヒユウタロウ」は誤読である。巨人の星星飛雄馬風に「ヒュータロー」である。
== 来歴・人物 ==
秋田商業を経て、法政大学に進学すると、東京六大学野球で活躍を見せる。その後、社会人野球の秋田コンマーシャルクラブ、帝国石油を経て、に急映フライヤーズに32歳という新人選手としては高齢で入団するも、わずか2年で引退する。通算成績は22試合で2勝6敗。プロ野球史上、最も漢字名の長い(7文字)選手として知られる。
プロ野球引退後、高校野球指導者として名を馳せる。
1969年8月22日、13年の闘病生活、4度目の発作で、53年の生涯を終える〔朝日新聞社『甲子園風土記 東日本編』朝日新聞社、1978年〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「赤根谷飛雄太郎」の詳細全文を読む




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