翻訳と辞書
Words near each other
・ 赤池保幸
・ 赤池信号場
・ 赤池弘次
・ 赤池彰敏
・ 赤池情報量基準
・ 赤池情報量規準
・ 赤池濃
・ 赤池町
・ 赤池裕美子
・ 赤池誠章
赤池長任
・ 赤池駅
・ 赤池駅 (岐阜県)
・ 赤池駅 (愛知県)
・ 赤池駅 (福岡県)
・ 赤池高行
・ 赤沈
・ 赤沢
・ 赤沢 (曖昧さ回避)
・ 赤沢キネマ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

赤池長任 : ミニ英和和英辞書
赤池長任[あかいけ ながとう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [あか, あけ]
 (n) 1. red 2. crimson 3. scarlet 4. communist
: [いけ]
 【名詞】 1. pond 
: [おさ]
 【名詞】 1. chief 2. head 
: [にん]
 【名詞】 1. obligation 2. duty 3. charge 4. responsibility 

赤池長任 : ウィキペディア日本語版
赤池長任[あかいけ ながとう]
赤池 長任(あかいけ ながとう、享禄2年(1529年) - 没年不明)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将肥後国相良氏の家臣。受領名伊豆
大口城在番の番頭の一人として人吉衆の将及び雑兵1,000名〔大口番頭一組300名ともあり、また大口に百人番所という処があったため100名とも(『南藤蔓綿録』)〕と共に大口城へ入った(東長兄丸目頼美の3組みと半年毎の交代制)。永禄7年(1564年)、相良氏が伊東氏と結んだために島津氏との関係は悪化し、大口城をめぐって激しい猛攻をかけてくるようになった。長任は堅固に在番するよう命じられていたものの、2月21日に野戦を仕掛けるべく、桑幡新六、岩崎六郎兵衛を先手に騎馬武者65騎、雑兵合わせて300余人で筈ヶ尾に出陣。放火と挑発を行い、出てきた島津軍と交戦したが敗れて大口城へ退却、殿となった長任と岡本頼氏は手傷を負い、桑幡、岩崎など沢山の兵が討ち死にした。
永禄10年(1567年4月9日(永禄11年(1568年2月28日説あり)、市山城へ在番中の新納忠元が、島津義久からの使者を見送りに城外へ出た際に、長任は大口城から上村弥九郎、的場五藤左衛門らを差し向け、忠元を初栗にて襲撃、忠元が市山城へ入っても尚これを追撃し、本丸の城の戸口で島津方と鑓を合わせている。
翌11年(1568年)1月20日には大口城へ押し寄せた島津軍を菱刈氏と共に撃退し、島津義弘を窮地に追い込んだ。また、この戦では岡本頼氏が川上久朗に手傷を負わせ、死に至らしめる大功を挙げている。
以降、相良氏の史書にはその名を見なくなるが、天正2年(1574年)に東長兄、深水頼金との連名により書かれた文書が存在する。
== 脚注 ==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「赤池長任」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.