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赤沢 康平(文久3年(1863年)8月1日 - 没年不明)は日本の実業家。旧徳島藩士〔『島根鳥取名士列伝』一三九〕。 元自治大臣赤沢正道の父。衆議院議員赤沢亮正は曾孫。 == 経歴 == 徳島県出身。厳父を貞衛といい通称以與治、青圃と号し漢学に精通造詣浅くない〔。康平は其の二男〔。 明治12年(1879年)8月、16歳の時郷里を去り東京に出て同年10月電信局製機所に入り庶務に従事し兼ねて物品の出納を掌り職工を監督する〔。傍ら芝区修成館に於いて英語漢学を研修〔。同14年事故により辞職〔。 発明家初代田中久重に聘せられ 電気機の発明模造に関係する〔。同15年工作局に入り同局が廃止されると残務整理の任に当り終局まで全うする〔。同16年鉄道局新橋会計課に入り会計検査を担任する〔。同年本局に転勤鉄道長官の秘書役となり爾来15年間鉄道本局に在勤し庶務監査鉄道会議掛を兼ね担任す〔『島根鳥取名士列伝』一四〇〕。 同30年其職を辞し日本鉄道会社に職を奉じ会社の主事となり岩越鉄道会社の嘱託を受け主席事務員に挙げられ庶務会計倉庫等の要務を統掌したが同31年事故により日本鉄道会社の主事並びに岩越鉄道会社の嘱託を辞し土木請負事業に従う〔。同32年〔『鳥取、島根官民肖像録』には「三十三年山陰鉄道起工セラルル二及び米子町二来リ居ヲ構ヒ荏苒現今に至る」とある〕山陰西線鉄道の起工着手されるに及び伯耆米子町に来て居を構える〔〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「赤沢康平」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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