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赤穂事件(あこうじけん)は、18世紀初頭の江戸時代元禄期に起きた事件で、江戸城松之大廊下で、高家旗本の吉良上野介(きらこうずけのすけ)に斬りつけたとして切腹に処せられた播磨赤穂藩藩主の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)に代わり、家臣の大石内蔵助以下47人が吉良を討ったものである。 この事件は、一般に「忠臣蔵」と呼ばれるが、「忠臣蔵」という名称は、この事件を基にした人形浄瑠璃・歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』の通称、および、この事件を基にした様々な作品群の総称である。これら脚色された創作作品と区別するため、史実として事件を述べる場合は「赤穂事件」と呼ぶ。 なお、浅野が吉良に斬りかかった理由は、史実としては不明である。赤穂事件を扱ったドラマ・映画等では、浅野が、吉良から要求された賄賂を拒否した事で起きた吉良による嫌がらせを原因として描かれ、また主君の浅野に代わり、家臣が、吉良を討った「仇討ち」事件として描かれることが多い。しかし、事件当時、「仇討ち」は、子が親の仇を討つなど、目上の親族のための復讐を指した。本事件を、「仇討ち」とみなすか「復讐」とみなすか、その意義については論争がある〔宮澤(1999) p146〕。 == 名称に関して == 本事件を元禄赤穂事件(げんろくあこうじけん)と呼ぶ本もあるが〔『〈元禄赤穂事件と江戸時代〉スッキリ解決! 忠臣蔵のなぜと謎 (歴史群像デジタルアーカイブス)』(今井敏夫)、『考証 元禄赤穂事件―「忠臣蔵」の虚実』(PHPビジネスライブラリー 稲垣 史生)〕、専門家の書いた本では全て「赤穂事件」で統一されている〔三田村(1930)、松島(1964)、今尾(1987)、宮澤(1999)、野口(1994)、田口(1999)、田原(2006)、山本(2012a)、渡辺(2013)、『元禄時代と赤穂事件』(大石学、角川選書)、『忠臣蔵の世界: 日本人の心情の源流』(諏訪春雄 大和書房)〕ので、本稿では「赤穂事件」と表記する。 また赤穂事件を扱った創作物では、前述のように本事件を忠臣蔵と呼ぶ事が多いが、講談では本事件を赤穂義士伝(あるいは単に義士伝)と呼ぶ。 吉良を討ち取った47人(四十七士)の行為を賞賛する立場からは、四十七士のことを赤穂義士(あるいは単に義士)と呼ぶ。それ以外の立場に立つ場合は、四十七士を含めた赤穂藩の浪人を赤穂浪士と呼ぶことが多いが、この名称は事件のあった元禄時代には一般的な言葉ではなく、作家の大佛次郎がそれまでの義士としての四十七士像を浪人としての四十七士に大転換する意図を持って書いた小説『赤穂浪士』で一般的になったものである〔宮澤(2001) p28、p147-151〕。(ただし先行作にも使用例あり〔例えば1888年の『江戸本所讐討 : 赤穂浪士吉良義英』 森仙吉編、東京屋 近代デジタルイブラリー 〕)。 このため「赤穂浪士」という言い方を避け、赤穂浪人という言い方がなされる場合もある〔宮澤(2001)、山本(2013)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「赤穂事件」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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