|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 赤 : [あか, あけ] (n) 1. red 2. crimson 3. scarlet 4. communist ・ 穴 : [けつ, あな] 【名詞】 1. (col) ass 2. arse 3. buttocks ・ 光 : [ひかり] 【名詞】 1. light
赤穴 光清(あかな みつきよ)は、戦国時代の武将。出雲の国人で尼子氏家臣。祖父は赤穴幸清。佐波隆秀は同族に当たる。 赤穴氏は元々石見の国人佐波氏の一族。戦国時代には尼子氏に仕え重用され、尼子十旗の一つである出雲赤穴城(瀬戸山城)に本拠を置いていた。 == 生涯 == 永正12年(1515年)に父の久清の隠居に伴い家督を継いだ。同年尼子経久に仕え、領地を安堵された。 天文11年(1542年)2月から始まる大内義隆の出雲遠征では、月山富田城から田中三郎左衛門ら1000騎の援軍を瀬戸山城に迎え入れ、赤名川をせき止めて赤名盆地を湖水とするなど防備を強化した。大内軍が瀬戸山城に来攻すると、毛利元就配下の熊谷直続を討ち取り、大内の大軍を撃退するなど、その活躍は目覚しかったが、戦闘指揮中に大内方の陶隆房配下の弓に喉を射抜かれ討死した。光清の討死により、抵抗力を失った瀬戸山城は降伏した。 長男の詮清と次男の定清は大内氏に従ったが、やがて尼子氏の勢力が回復すると、隠居の久清が三男の盛清と共に尼子氏に帰参し、赤穴一族は敵味方に分かれた。天文12年(1543年)に詮清は筑前で討死し、定清は大内側にある自分と、尼子側にある実家との関係に悩み自害した。光清の奮戦に感動していた尼子晴久は盛清(後に久清と改名)を重用したが、盛清は晴久の死後に弱体化した尼子氏を見限り、毛利元就に降伏した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「赤穴光清」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|