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赤羽まつ江 : ミニ英和和英辞書
赤羽まつ江[あかばね]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [あか, あけ]
 (n) 1. red 2. crimson 3. scarlet 4. communist
: [わ, はね]
  1. (n-suf) counter for birds 2. counter for rabbits 
: [こう, え, ごう]
 【名詞】 1. inlet 2. bay 

赤羽まつ江 ( リダイレクト:本多まつ江 ) : ウィキペディア日本語版
本多まつ江[ほんだ まつえ]
本多まつ江(ほんだ まつえ、1889年明治22年)12月25日 - 1969年昭和44年)4月26日教師であり、僧侶夫人、司法保護司教誨師。晩年『死刑囚の母』と呼ばれた。旧姓は赤羽。
==来歴==
長野県東筑摩郡神林村字下神(現・松本市)に赤羽吉弥の五女として誕生する。神林尋常小学校卒業。長野県立松本高等女学校を卒業したのち、東京九段の和洋女子専門学校(現和洋九段女子中学校・高等学校)に進学。卒業後は、市立松本女子職業学校新潟県立長岡高等女学校経て、埼玉県立久喜高等女学校に奉職。久喜高女時代は、国立療養所多磨全生園で、見習い看護婦として勤労奉仕をしている。
川島芳子の養父で、同郷の川島浪速に請われ、1916年大正5年)4月に芳子の家庭教師となる。当時、東京・赤羽(現在の十条あたり)にあった川島邸に、まつ江は住み込みで芳子の教育にあたった。家庭教師を始めた頃、芳子は、豊島師範附属小学校に入学している。
1921年(大正10年)川島一家が東京の家を引き払い、浪速の故郷である信州松本に転居した年の3月、まつ江は名古屋市中村区岩塚町「林高寺」の住職・本多恵孝と結婚。本多まつ江となる。しかし、挙式後1ヶ月した頃にアメリカコロンビア大学に単身留学をし、3年後の1924年(大正13年)に帰国するまで、夫とは別居生活をする。
1933年(昭和8年)、「大日本連合女子青年団満州視察団員」として中国大陸へ渡り、芳子と再会している。日中戦争の間は、アジアからの留学生の援助をしていた。1938年(昭和13年)、司法保護司を委嘱される。
1960年(昭和35年)、名古屋拘置所教誨師となり、晩年は『死刑囚の母』として讃えられた。癌性腹膜炎のため、79歳で逝去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「本多まつ江」の詳細全文を読む




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