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共産主義者同盟赤軍派(プロレタリア革命派)は、1974年に結成された日本の新左翼党派。議長は塩見孝也(獄中)、主なメンバーは永田洋子、坂東國男、植垣康博(いずれも獄中)ら。略称は赤軍派プロ革派、赤軍(プロ革派)、赤軍派(プロ革)等。 == 結成 == 連合赤軍事件後、赤軍派は連赤総括を巡って分裂状態にあった。そんな中、赤軍派議長の塩見孝也(獄中)は1974年7月に赤軍派の再建として赤軍派(プロレタリア革命派)を結成した。当時の退潮傾向にある新左翼運動の中で、「攻撃的蜂起」と称する武装闘争により状況の打開を目指すことを主張した。 塩見はトロツキズムの赤軍派と毛沢東思想の日本共産党(革命左派)神奈川県委員会が合同した連合赤軍を、本来あり得ないはずのトロツキズムと毛派による新党結成として積極的に評価し、また連赤の失敗は思想問題にあるとして「思想問題の正しい解決による反スタトロツキズムと毛沢東教条主義の同時相互止揚」を掲げた。また、連合赤軍の12名の同志殺害(山岳ベース事件)については、連合赤軍での総括要求をていねいに掘り下げていけば殺された12名は正しく、一方、総括要求をした森恒夫や永田洋子らこそが誤っていた事がはっきりするはずだ、としていた。 塩見のこの方針は、連赤総括に取り組んでいた永田洋子、坂東國男、植垣康博(いずれも獄中)に支持され、永田らはプロ革派の結成に参加することになる。但し、永田によると塩見によるプロ革派の結成は「極めて唐突な印象を与え」たという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「共産主義者同盟赤軍派(プロレタリア革命派)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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