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赤須氏 : ミニ英和和英辞書
赤須氏[あかすし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [あか, あけ]
 (n) 1. red 2. crimson 3. scarlet 4. communist
: [うじ]
 【名詞】 1. family name 2. lineage 3. birth 

赤須氏 : ウィキペディア日本語版
赤須氏[あかすし]
赤須氏(あかすし)は日本氏族のひとつ。
== 藤姓赤須氏 ==
常陸国本姓藤原氏とする赤須氏がある。


常陸国の赤須氏は藤原秀郷の五世 太田大夫通延の子 佐都荒大夫通成の三男 彦四郎通頼久慈郡赤須村に拠り赤須氏を起こしたという。赤須城主にして佐都神社長官を務める。家系は常陸守護職 佐竹氏に仕える者と同族の常陸守護代 小野崎氏に仕える者とがあった〔太田亮前掲書(角川書店、1934年)24頁参照。また、佐竹氏の家臣の記録でも、茅根、赤須、小野崎から分かれると記述されている。詳しくは大内政之介著『新編金砂戦国史』(筑波書林1993年)183頁参照。〕。佐竹家臣としては、南高野城主として赤須雅楽介の名が見える他〔冨村壽夫冨村尚樹共著『 佐竹氏物語 : 史上最長不倒の豪族 』(非売品、2011年)224頁参照。〕、南北朝期には建武3年(1336年6月、北朝方の佐竹貞義率いる佐竹軍が北畠顕家那珂通辰らの南朝方と甕ノ原にて激突し、南朝方は敗れて撤退する際、佐竹軍の殿軍として赤須信濃守通長が奮戦したとされ、この功により通長は25貫の加増を受けたという〔大内政之介前掲書(筑波書林、1993年)40頁参照。〕。
戦国期には佐竹義重の家臣として守護代 江戸氏との戦いに功を挙げた武将として赤須丹後守の名が見え、天正18年(1590年12月、義重より官途状及び那珂郡戸崎、久慈東郡大里のうちより350貫を授かるという〔。
小野崎氏家臣の赤須氏は小野崎通経により、大森氏瀧氏天龍氏石佐氏波氏茅根氏ともども家老に列している〔太田亮前掲書第1巻(角川書店、1934年)1019頁参照。また、佐竹氏の家臣にまつわる記録でも、茅根、赤須、小野崎から分かれると記述されている。詳しくは大内政之介前掲書(筑波書林、1993年)183頁参照。〕。
系譜 彦四郎通頼-兵庫介通俊-兵庫介通郷-兵庫介通景-次郎通胤-次郎太郎通胤

*※通俊には3子あり。長男 兵庫介通兼、次男で嫡子兵庫介通郷、三男 通公がいた。
*通郷には2子あり。嫡男 次郎通胤、次男 三郎通定がいた。
*次郎通胤には2子あり。次郎太郎通胤、次男 三郎通重である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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