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赤須氏(あかすし)は日本の氏族のひとつ。 == 藤姓赤須氏 == 常陸国に本姓を藤原氏とする赤須氏がある。 常陸国の赤須氏は藤原秀郷の五世 太田大夫通延の子 佐都荒大夫通成の三男 彦四郎通頼が久慈郡赤須村に拠り赤須氏を起こしたという。赤須城主にして佐都神社の長官を務める。家系は常陸守護職 佐竹氏に仕える者と同族の常陸守護代 小野崎氏に仕える者とがあった〔太田亮前掲書(角川書店、1934年)24頁参照。また、佐竹氏の家臣の記録でも、茅根、赤須、小野崎から分かれると記述されている。詳しくは大内政之介著『新編金砂戦国史』(筑波書林、1993年)183頁参照。〕。佐竹家臣としては、南高野城主として赤須雅楽介の名が見える他〔冨村壽夫、冨村尚樹共著『 佐竹氏物語 : 史上最長不倒の豪族 』(非売品、2011年)224頁参照。〕、南北朝期には建武3年(1336年)6月、北朝方の佐竹貞義率いる佐竹軍が北畠顕家、那珂通辰らの南朝方と甕ノ原にて激突し、南朝方は敗れて撤退する際、佐竹軍の殿軍として赤須信濃守通長が奮戦したとされ、この功により通長は25貫の加増を受けたという〔大内政之介前掲書(筑波書林、1993年)40頁参照。〕。 戦国期には佐竹義重の家臣として守護代 江戸氏との戦いに功を挙げた武将として赤須丹後守の名が見え、天正18年(1590年)12月、義重より官途状及び那珂郡戸崎、久慈東郡大里のうちより350貫を授かるという〔。 小野崎氏家臣の赤須氏は小野崎通経により、大森氏、瀧氏、天龍氏、石佐氏、波氏、茅根氏ともども家老に列している〔太田亮前掲書第1巻(角川書店、1934年)1019頁参照。また、佐竹氏の家臣にまつわる記録でも、茅根、赤須、小野崎から分かれると記述されている。詳しくは大内政之介前掲書(筑波書林、1993年)183頁参照。〕。 系譜 彦四郎通頼-兵庫介通俊-兵庫介通郷-兵庫介通景-次郎通胤-次郎太郎通胤 *※通俊には3子あり。長男 兵庫介通兼、次男で嫡子の兵庫介通郷、三男 通公がいた。 *通郷には2子あり。嫡男 次郎通胤、次男 三郎通定がいた。 *次郎通胤には2子あり。次郎太郎通胤、次男 三郎通重である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「赤須氏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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