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「赤頭巾ちゃん御用心」(あかずきんちゃんごようじん)は、レイジーの3枚目のシングル。1978年2月5日にRCAから発売された。 == 概要 == 1977年にデビューしたものの、ヒット曲に恵まれなかったレイジーにとって初のヒット曲。当時の彼等が要求されていたベイ・シティ・ローラーズ風の路線を色濃く反映した曲である。20万枚以上の売り上げを記録し、初めてオリコンにランクインしたことで、彼等が注目されるきっかけとなった。1978年3月5日発売の1stアルバム『This is the LAZY』に収録、ベスト・アルバムにも必ず収録される代表曲である。 一方、元々ハードロックを目指していた当人達にとっては、この曲は必ずしも望ましいものではなかったようである。この曲のヒットによって本来の路線とは異なるアイドル的なイメージが定着してしまったこと、その後再びヒット曲が少なくなってしまった〔実際には次のシングル『燃えろロックン・ロール・ファイアー』がこの曲よりも上位(31位)にランクインしている。〕ことも、未だメンバーに複雑な感情を抱かせる要因となっている。 そのためか、再結成後のライブではこの曲は封印され、冗談でイントロのフレーズが断片的に演奏されることはあっても、きちんとした形で演奏されたことは一度も無い。影山ヒロノブは自身がパーソナリティを務めていたラジオ番組『ラジオ・スーパーロボット魂(スピリッツ)』で「当時の印象が強すぎるので(完全なハードロックバンドと化した)再結成後は歌えない」と発言している。高崎晃に至っては「この曲を演奏しないこと」を再結成の条件にしたほどである〔ライブDVD『LAZY LIVE 2002 宇宙船地球号II』の映像特典より。また、高崎は再結成当時に雑誌のインタビューで「この曲をやるくらいなら再結成しない」と語っている。但し、ライブビデオ『HAPPY TIME TOUR '98〜黒頭巾のなすがまま〜』には、高崎が楽屋で歌っている様子が収録されている。FCイベントのカラオケコーナー等でも歌ったりしている。〕。1999年の渋谷公会堂ライブで影山が「それは次の解散ライブの時にやろう」と発言したが、これも冗談めかした言い方である。また、現在はレイジーとしての本格的な活動が不定期になっているため、実現するかどうかは不明。 高崎の他に樋口宗孝もこの曲を極端に嫌っていたが、影山・井上・田中は現在はそこまでは嫌っておらず、高崎と樋口が関係していない場所では歌ったり演奏したりする事がある〔『ラジオ・スーパーロボット魂(スピリッツ)』内で水木一郎との弾き語りで披露。また、影山がソロで参加しているライブ等では幾度となく歌われている。〕。この面でも解散時に浮き彫りとなったハードロック志向の高崎・樋口 (LOUDNESS) とポップス志向の井上・田中(ネバーランド)の音楽性の違いが表れている。 後年、高崎によると赤頭巾に限って自分達がレコーディングで演奏していない事を暴露。理由について「ある日オケが上がってきて歌だけ入れて、実際、デビュー曲とかは自分らでも演奏してみたんだけど、やっぱりスタジオ・ミュージシャンとかに任せた方が全然上手いし。」「ディープ・パープルの曲とかをある程度のレベルで演奏できてもポップスを演奏するのは難しかった。まだみんな下手糞やったんですよ。そこでプロの厳しさを知ったし、シンプルなことほど難しいねんな、と気付かされたわけです」と事務所判断で差し替えされた事を明かしている〔『ヘドバン Vol.4』(2014年 シンコーミュージック・エンタテイメント)24p〕〔事務所のオーナーだった藤田浩一は、後年杉山清貴&オメガトライブをプロデュースした際にも、「バッキングに関して、洋楽ファンが抵抗なく入ってこれるように非常に高いレベルを要求したため、スタジオミュージシャンの起用も致し方なかった」と、同様の手法を取ったことをボックスセット『EVER LASTING SUMMER COMPLETE S.KIYOTAKA&OMEGA TRIBE』に掲載のインタビューでコメントしている。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「赤頭巾ちゃん御用心」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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