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高田地震(たかだじしん)は、1751年5月21日(寛延4年/宝暦元年4月26日)深夜(夜丑の刻、午前2時頃)に関川東岸の頸城平野、現在の新潟県上越市中央部を中心に発生した地震である。地震学者の宇佐美龍夫による推定では、マグニチュード7.0から7.4相当とされている。1665年にこの付近に発生した地震と区別する為に宝暦高田地震、或いは越後・越中地震とも称される。 == 概要 == 震央は、東経138.2°、北緯37.1°付近と推定されている〔矢田俊文、卜部厚志:1751年越後高田地震による被害分布と震源域の再検討 新潟大学大学院現代社会文化研究科プロジェクト「大域的文化システムの再構成に関する資料学的研究」,2011-3,資料学研究 Vol.8 p.1-23〕が、別な研究では青田難波山の難波山背斜南部とする説もある〔。この地震による死者は、資料によって異なり、1100人から2000人程度であったとされる〔白石一夫:宝暦高田地震・名立崩れから250年 地すべり Vol.38 (2001-2002) No.2 P152-156〕。高田平野周辺には、平野東西両縁に沿って活断層が連続的に存在しているが、高田平野西縁断層系で発生したと考えられている〔 歴史地震 第24号(2009) 111-119頁〕。 この地震による代表的な被害は、名立区(現:新潟県上越市)の海岸段丘が、地すべりにより崩れ落ち、406人が死亡した「名立崩れ」など、多大な被害をもたらしている。これにより高田藩は江戸幕府に金銭面での救済〔名立崩れが起きた当時の名立小泊村は、幕府直轄領であったため、ここには含まれない。〕を求めている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高田地震」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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