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趙キ[ちょう き]
趙 琪(ちょう き)は中華民国の政治家。中華民国臨時政府、南京国民政府(汪兆銘政権)の要人。字は瑞泉。「趙祺」と表記する例もあるが〔東亜問題調査会編(1941)、132頁及び徐主編(2007)、2260頁。〕、誤りと見られる。 == 事績 ==
=== 初期の活動 === 学者の家庭に生まれる。私立青島徳華大学でドイツ語を習得する。卒業後の1901年(光緒27年)、山東巡警庁で翻訳官となった。1913年(民国2年)、ドイツに遊学する〔東亜問題調査会編(1941)、132頁。〕。 帰国後、津浦鉄路工程局技師、淞滬警察庁督察長、高等外交顧問を歴任する。1917年(民国6年)、竜口商埠興築公司総理となる。1921年(民国10年)2月、竜口商埠局局長(後に総弁)に昇格した。翌年4月、山東省参議となる。1925年(民国14年)、段祺瑞の推挙により膠澳商埠督弁に転じ、まもなく総弁に昇格した。1929年(民国18年)、辞職する〔〔徐主編(2007)、2260頁によると、竜口商埠総弁を辞任したのは1932年4月で、その後に膠澳商埠総弁に転じた、としている。〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「趙キ」の詳細全文を読む
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