翻訳と辞書
Words near each other
・ 趙カ
・ 趙ガイ
・ 趙ガク
・ 趙キ
・ 趙キョウ
・ 趙キン
・ 趙ギョウ
・ 趙グ
・ 趙ゲン
・ 趙ショク
趙テキ
・ 趙テン
・ 趙バツ
・ 趙ヒツ
・ 趙ヒン
・ 趙フ
・ 趙ホウ
・ 趙ヨウ
・ 趙ヨン勲
・ 趙ヨン勳


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

趙テキ : ウィキペディア日本語版
趙テキ[ちょう てき]

趙 倜(ちょう てき)は清末民初の軍人。北京政府に属した。原名は金生周人
== 事跡 ==

=== 毅軍での昇進 ===
農民の家庭に生まれ、初めは学問を志した。しかし、貧困のため1890年光緒16年)から武官の道を進む決意をする。済南に駐屯していた毅軍馬玉昆に、初めは文書担当官として仕えた。しかし、騎馬・銃の訓練にも励んで成果をあげ、1894年(光緒20年)、騎兵管帯に昇進した。同年の日清戦争では、馬は平壌へ向かい、趙倜もこれに随従して日本軍と戦った。
1898年(光緒24年)、毅軍が武衛左軍に改組され、山海関に駐屯すると、趙倜もこれに従う。1900年(光緒26年)、統領に昇進する。1908年(光緒34年)、武衛左軍総統官にあった馬玉昆が死去すると、姜桂題がその後任となった。趙は馬に引き続き、姜も良く補佐し、その信任を得た。これにより、武衛左軍全軍翼長に昇進した。辛亥革命の際には、山西省閻錫山陝西省張鳳翽ら革命派と交戦している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「趙テキ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.