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趙似[に] 趙 似(ちょう じ、1084年 - 1106年)は、北宋の神宗の十三男。哲宗の同母弟で、母は賢妃朱氏(後の欽成太后)。 == 経歴 == 元豊6年12月(西暦で1084年)に生まれ、翌年(西暦で同年)に和国公に封ぜられた。元豊8年(1085年)4月、兄の哲宗により普寧郡王に封ぜられた。紹聖5年(1098年)3月、簡王に進封された。 元符3年(1100年)に哲宗が崩じた際、嗣子がなかったので、章惇は哲宗の同母弟の趙似を推薦したが、皇太后向氏が「神宗の息子はみな同格、そんな必要があるのか」と言って反対した〔哲宗の崩御後、皇太后向氏が述べたところによると、哲宗の看病の際、皇太妃朱氏は「(先帝の男子のうち)似だけが、母(朱氏)が腹を痛めた子です。大急ぎで似を帝位に即かせなさいませ」と哲宗に求めた。哲宗を臨終まで看護した者はその後、向氏がみな降格させて宮中から追い出しており、この一件には証人がいなかった。〕。同年3月、帝位を継いだ兄の徽宗により蔡王に再進封された。 翌月、徽宗から権力を奪おうとしていると疑惑を持たれ、徽宗に向かって謝罪し、赦免された。崇寧5年(1106年)3月、失意のうちに薨去し、韓王の位を追贈され、「栄憲」と諡された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「趙似」の詳細全文を読む
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