翻訳と辞書
Words near each other
・ 趙五連
・ 趙京蘭
・ 趙仏保
・ 趙仙郎
・ 趙伯圭
・ 趙伯符
・ 趙伯魯
・ 趙似
・ 趙佑鎮
・ 趙佖
趙佗
・ 趙佛保
・ 趙佶
・ 趙俁
・ 趙俊
・ 趙倜
・ 趙倫之
・ 趙倫貞
・ 趙儼
・ 趙允旋


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

趙佗 : ウィキペディア日本語版
趙佗[ちょう だ]

趙 佗(ちょう だ)は、南越の初代
==生涯==

===青年期===
常山郡真定県(現在の河北省石家荘市正定県)の人。『史記』「南越列伝」・『漢書』「南蛮伝」によると、別称は「尉佗」。元々は官吏であったと任囂の部下であった。紀元前221年始皇帝が天下統一を成し遂げると、勅命で屠は南海郡(現在の広東省)の郡守に、任囂は郡尉に、趙佗は竜川県県令に任じられ、共に謀反を起こした百越などの南方の蛮族の統治を命じられた。彼らの任務は百越の鎮圧と、北方の漢族を移住させることであった。現地には原住民の越人がいた。しかし、この鎮圧中に屠は越人によって殺害されたという。
間もなく任囂は病に罹り、信頼が篤い部下の趙佗を後任として「ここは秦から独立するのに適した地域だ。君ならできるだろう」と言い残して死去した。趙佗は任囂の遺志を受け継いで、南海郡尉代行を兼任した。早速、付近の黄浦・陽山・湟谿関などに布令を出して、広東周辺で厳格な法律を敷いた。やがて、趙佗は朝廷から派遣された高官の不正を挑発して、これを果敢に処刑し、自分の部下にその代理を委ねたという。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「趙佗」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.