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趙佗[ちょう だ]
趙 佗(ちょう だ)は、南越の初代王。 ==生涯==
===青年期=== 常山郡真定県(現在の河北省石家荘市正定県)の人。『史記』「南越列伝」・『漢書』「南蛮伝」によると、別称は「尉佗」。元々は秦の官吏であったと任囂の部下であった。紀元前221年に始皇帝が天下統一を成し遂げると、勅命で屠は南海郡(現在の広東省)の郡守に、任囂は郡尉に、趙佗は竜川県の県令に任じられ、共に謀反を起こした百越などの南方の蛮族の統治を命じられた。彼らの任務は百越の鎮圧と、北方の漢族を移住させることであった。現地には原住民の越人がいた。しかし、この鎮圧中に屠は越人によって殺害されたという。 間もなく任囂は病に罹り、信頼が篤い部下の趙佗を後任として「ここは秦から独立するのに適した地域だ。君ならできるだろう」と言い残して死去した。趙佗は任囂の遺志を受け継いで、南海郡尉代行を兼任した。早速、付近の黄浦・陽山・湟谿関などに布令を出して、広東周辺で厳格な法律を敷いた。やがて、趙佗は朝廷から派遣された高官の不正を挑発して、これを果敢に処刑し、自分の部下にその代理を委ねたという。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「趙佗」の詳細全文を読む
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