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趙容徹 : ウィキペディア日本語版
趙容徹[ちょ よんちょる]


趙容徹(チョ・ヨンチョル、、、1961年5月7日 - )は韓国出身の柔道選手。階級は95kg超級。身長180cm。体重116kg〔Jo Yong-Cheol Biography and Olympic Results 〕。
== 人物 ==
1981年の世界選手権95kg超級準決勝では、山下泰裕に開始早々内股で一本負けを喫して、その後の3位決定戦でも敗れ5位に終わった。1984年のロサンゼルスオリンピックでは3位となった。1985年に地元のソウルで開催された世界選手権では、決勝で斉藤仁相手に開始すぐ立った姿勢から腕挫腋固を仕掛けて一挙に体を捨てると、斉藤は釣り手である左腕の肘を脱臼して試合続行不可能となり、棄権勝ちで優勝を遂げた。この試合に対して日本選手団は、趙が施した立ち姿勢から体を捨てる腕挫腋固はIJF試合審判規定28条で示されているように警告に該当する反則技なのではないかとIJFに質問状を提出したが、結果として徒労に終わった〔「第14回世界選手権特集」近代柔道 ベースボールマガジン社、1985年11月号、63頁〕〔Yong-Chul's illegal waki-gatame 〕〔robbed of 1985 World title 〕。1986年にソウルで開催されたアジア大会では、斉藤が出場した95kg超級にはエントリーせず無差別に出場したが、決勝で正木嘉美に指導を取られて敗れた。1988年のソウルオリンピック準決勝では斉藤との因縁の再戦となったが、残り20秒になって防御姿勢で指導を取られてリードされると、今度は不用意に場外に出て注意を与えられ、それ以降は戦意喪失して戦いを止めた〔「オリンピックソウル大会柔道競技」近代柔道 ベースボールマガジン社、1988年11月号、74頁〕。その後の3位決定戦には勝ち、銅メダルを獲得した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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