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趙州従諗(じょうしゅう じゅうしん、778年 - 897年)は、中国唐末の禅僧。 俗姓は郝〔赤偏+おおざと〕(かく)、曹州臨淄(臨淄、淄は巛の下に田を置いてさんずい)県郝〔赤偏+おおざと〕郷(現在の山東省)の出身である。 == 生涯 == 幼くして曹州の龍興寺で出家し、後に池陽の南泉普願の下に至り、師の「平常心是道」に関する言葉により、大悟してその法嗣となる。嵩山の琉璃壇で受戒する。 60歳で遊方の途に出て、黄檗希運、塩官斉安らの禅匠の下で修禅する。 80歳で趙州(河北省)の観音院(東院)に住するようになり、その後、40年間「口唇皮禅」と称される特異な禅風を宣揚し、120歳で没した。諡して真際大師という。 彼と門弟との問答の多くが、後世の「公案」となり、広く知られることとなった。特に、「狗子仏性」のエピソードは公案集『無門関』の第一則に取りあげられ、東洋的「絶対無」の思想を象徴する問答として名高い。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「趙州従シン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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