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趙席聘 : ミニ英和和英辞書
趙席聘[ちょう せきへい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [せき]
 【名詞】 1. seat 

趙席聘 : ウィキペディア日本語版
趙席聘[ちょう せきへい]

趙 席聘(ちょう せきへい)は、中華民国の軍人。北京政府国民軍国民政府国民革命軍)に属した。馮玉祥配下の「十三太保」〔趙席聘に加え、孫良誠韓復榘石友三張維璽過之綱劉汝明聞承烈佟麟閣孫連仲韓多峰程希賢葛金章の13人を指す。ただし趙席聘の代わりに韓占元が列せられる場合もある。〕の1人とされる場合がある。国珍。馮玉祥配下劉郁芬の表兄(母方の従兄)に当たる。
== 事績 ==
1898年(光緒24年)、袁世凱率いる武衛右軍に入隊し、間もなく哨官となった。1902年(光緒28年)5月、保定北洋行営将弁学堂に入り、翌年卒業した。武衛右軍に復帰すると、馮玉祥の下で隊官に任ぜられている。1910年宣統2年)、北洋第20鎮第40協第80標連長となった〔。
中華民国成立後は、馮玉祥率いる第16混成旅で営長に任ぜられ、1918年民国7年)には団長に昇進、後に西北軍(国民軍)第8旅少将旅長となった〔。この他、甘粛省省会警察庁庁長、河州鎮守使、第17師師長、国民革命軍第3集団軍暫編騎兵第8旅旅長などを歴任した。1928年(民国17年)10月、甘粛省政府委員に任ぜられ、1931年(民国20年)8月までつとめた〔徐(2007)、2283頁。〕。1930年(民国19年)5月、中原大戦の勃発に際して馮から第18路軍中将総指揮に任命され、更に第13軍中将軍長や西安防城司令も務めた。馮が敗北、下野すると、趙も同様の行動をとり、軍事・政治の経歴を事実上終了した〔。
これ以降における趙席聘の動向については不詳。ただし、中華人民共和国建国後も大陸に留まっており、1957年北京市で病没している。享年84。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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