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趙柔(ちょう じゅう、生没年不詳)は、中国の五胡十六国から北魏にかけての人物。字は元順。本貫は金城郡。 == 経歴 == 若くして徳行才学で河右に名を知られた。北涼の沮渠牧犍に仕えて、金部郎となった。太武帝が北涼を滅ぼすと、平城に連行された。文成帝が即位すると、著作郎に任じられた。後に河内郡太守として出向し、善政で知られた。 子の趙黙は、字を沖明といい、武威郡太守となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「趙柔」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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