|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 汝 : [なんじ] (n) (arch) you ・ 愚 : [ぐ] 1. (adj-na,n) foolish 2. silly 3. stupid
趙 汝愚(ちょう じょぐ、? - 1196年)は、南宋前期の宗室。字は子直(しちょく)。 北宋の第2代皇帝・太宗(趙光義)の末裔である。南宋の第2代皇帝・孝宗に仕えた。智勇兼備の名士で、内政でも軍事でも多くの手柄を立てて、孝宗から厚い信任を受けた。しかし1194年に孝宗が死去すると、後継者の光宗と対立し、これを皇太后の呉氏(高宗の皇后)と共謀して廃した。 その後、寧宗の時代になると、1195年に右丞相に任命された。しかし、韓侘冑と対立し、その讒言を信じた寧宗によって、同年のうちに官位剥奪の上、福州に流され失脚した。その後も韓侘冑による圧迫で永州への流罪となるが、その途上で病死した。韓侘冑との対立は、朱熹を嫌いその宋明理学を偽学として弾圧する韓侘冑に対し、趙汝愚が手厚く庇護したことによるためといわれる。 その死から11年を経て、韓侘冑が殺害されると、趙汝愚に対して太師・周王などが追贈され、名誉は回復された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「趙汝愚」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|