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趙盾[ちょうとん] 趙盾(ちょうとん、生没年不詳)は中国春秋時代の晋の政治家。姓は贏、氏は趙、諱は盾、謚は宣。趙衰の長男。趙氏の祖。晋で長く政権を執り、趙氏の存在を一躍大きくした。趙宣子、趙宣孟などとも呼ばれる。〔普通(孟)は長子を表し年長から(孟)、(仲)、(叔)や(季)がつく。〕 ==生涯==
===趙盾の登場=== 父の趙衰は驪姫の乱後、重耳に従って諸国を放浪していた。やがて、趙衰は亡命先の狄で族長の娘、叔隗を娶り、趙盾を儲けた。その後、重耳は晋に帰還して文公となり、趙衰も高位に上がった。さらに趙衰は文公の娘、趙姫〔姫は「ひめ」ではなく、晋室の姓。趙氏に嫁いだので趙姫と言う。〕を娶り、新たに趙同、趙括、趙嬰斉の三人の子を儲けた。本来ならば、主家の娘の趙姫が正妻であり、趙盾は嫡子になれないはずだった。しかし趙姫が、叔隗と趙盾を呼んで正妻と嫡子にするよう、趙衰と文公に進言し、これが受け入れられた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「趙盾」の詳細全文を読む
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