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趙 纓絡(ちょう えいらく、1111年5月以前 - 1137年)は、北宋の徽宗の第19皇女(夭逝を除いて第8皇女)。 == 経歴 == 政和元年(1111年)3月25日、順福公主の位を授けられた。同3年(1113年)閏4月、帝姫の位を改授された。靖康元年(1126年)6月、順徳帝姫を再授され、向子扆に降嫁した。 靖康の変後、金に連行され、完顔宗翰の側室となった。金の天会8年(1130年)6月、纓絡は次婦(妾妻)の位を授けられた。天会15年(1137年)7月に宗翰が病没した後、纓絡は宗翰の家を出て五国城へ向かった〔父帝と団欒したかったと考えられている。〕が、習古国王〔金の東路都統。五国城の総監。〕に足止めされ、その側室となった。同年、死去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「趙纓絡」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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