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足利 冬氏(あしかが ふゆうじ、生没年不明)は室町時代初期の人物。足利直冬の嫡男と伝わる。この説が正しければ、初代将軍・足利尊氏の孫で、第2代将軍・足利義詮の甥、第3代将軍・足利義満は従兄弟となる。 == 生涯 == 中国武衛、善福寺殿と称される。かつて直冬が勢力を扶植した備中井原荘(現在の岡山県井原市)の辺りに住み、その地に臨済宗善福寺を開基したため、善福寺殿と呼ばれるようになったと思われる〔 瀬野精一郎 著『人物叢書‐足利直冬』吉川弘文館、2005年、p.183〕。母は法名を広福寺殿玉峯明金尼長老というが本名、出自などは不明〔 瀬野精一郎 著『人物叢書‐足利直冬』吉川弘文館、2005年、p.182〕。 子に嘉吉の乱で赤松満祐に大将として擁立された足利義尊、その弟で備中から播磨に入国を試みて失敗し殺された足利義将がいる〔 瀬野精一郎 著『人物叢書‐足利直冬』吉川弘文館、2005年、p.187〕。冬氏の兄弟は全て僧籍にあり、中でも直冬の末子で冬氏の末弟と伝わる宝山乾珍が有名である。 冬氏の生没年は不明だが、義尊は応永20年(1413年)の生まれで〔 瀬野精一郎 著『人物叢書‐足利直冬』吉川弘文館、2005年、p.186〕、さらに弟に義将がいるため、応永年間中期までは生存していたと推測される。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「足利冬氏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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