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足利 豊(あしかが ゆたか、1968年10月15日 - )は、秋田県秋田市出身の元プロ野球選手(投手)。 == 来歴・人物 == 父も叔父も兄も野球経験者という環境に生まれ、小さい頃から野球少年となった〔朝日新聞、2000年7月12日付朝刊、秋田地方面〕。ドカベンの山田太郎に憧れて捕手になりたかったが、小学校3年生の時に入った野球部の監督によってアンダースローの投手となっている〔。4年生で早くも公式戦に登板し、5年生の時にはチームを県大会準優勝に導くなど、下手から浮き上がる直球を武器に頭角をあらわした〔。 県内の強豪校である金足農業に進み、1年夏にチームは選手権大会に出場。他校のアンダースロー投手対策のため、打撃投手としてレギュラーに帯同している〔。2年生でエースとなったが、チームの打撃力が弱かった事もあり再び甲子園に進む事はなかった〔朝日新聞、2000年7月13日付朝刊、秋田地方面〕。在学中に球威を社会人野球やプロの球団から評価され〔、卒業後は新日鐵釜石に進んでいる。 チームの休部にともないには社内の名古屋野球部に移籍。五輪代表の候補になるなど高い評価を受け〔、1990年のドラフトでダイエーから5位で指名を受けて入団した。プロ2年目のには7月8日の対ロッテ戦で完封で初勝利を飾る〔読売新聞、1992年7月9日付朝刊、P.21〕など5勝を挙げ、年俸は780万円増の1,500万円(推定)となった〔読売新聞、1992年12月6日付朝刊、P.17〕。 翌のキャンプでは同郷の先輩でアンダースローだった山田久志からシンカーを直伝され〔読売新聞、1993年5月28日付朝刊、P.25〕、20試合に先発して西武から4勝を挙げて西武キラーと呼ばれた〔。しかし同年に肩を痛め〔、さらには脇腹と股関節を痛めて二軍での調整が続いたが、6月のワールド・ベースボール・ウイーク・イン・ジャパン第4戦でダイエー二軍の先発として登板し、キューバ相手に3安打無四球で完投勝利を挙げている〔読売新聞、1994年6月26日付朝刊、P.21〕。 その後は首脳陣との相性もあって出番が少なく〔オフに自由契約となり、横浜の入団テストを受け合格。しかし翌年は再び肩を痛めて登板機会がないまま退団し〔、シカゴ・カブスのテストを受験するも合格はならなかった〔。のシーズン途中から台湾リーグの三商タイガースにてプレーし、7試合で2セーブを記録〔。不況の影響でチームが解散した〔こともあり、同年をもって現役を引退した。引退後はスポーツDEPO太宰府インター店に勤務している〔週刊ベースボール2012年4月16日号 P14〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「足利豊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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