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足利高義 : ミニ英和和英辞書
足利高義[あしかが たかよし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [あし]
 【名詞】 1. foot 2. pace 3. gait 4. leg 
: [り]
 【名詞】 1. advantage 2. benefit 3. profit 4. interest 
: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 
: [ぎ]
 【名詞】 1. justice 2. righteousness 3. morality 4. honour 5. honor 

足利高義 : ウィキペディア日本語版
足利高義[あしかが たかよし]

足利 高義(あしかが たかよし)は、鎌倉時代末期の武将鎌倉幕府御家人足利貞氏の長男。母は正室で北条顕時の娘・釈迦堂殿〔。足利尊氏足利直義の異母兄に当たる。
== 略歴 ==
元服に際して、北条氏得宗家当主の北条高時(鎌倉幕府第14代執権)より偏諱を受けて〔田中大喜「中世前期下野足利氏論」(田中、2013年、p.25)。〕〔田中・2013年 p.69(臼井論文)・p.172(吉井論文)、水野・2014年・p.59。〕高義と名乗る。
鎌倉時代の足利氏嫡流家の歴代当主のはこれまで「得宗の当主の偏諱+通字の「氏」」で構成されてきた〔のに、高義の名には「氏」が付かずに清和源氏通字である「義」の字が使われている背景にはこの当時の足利氏と北条得宗家の良好な関係の象徴であり、北条得宗家が足利氏の鎌倉将軍および得宗家への忠節と引換に「源氏嫡流」として認められたとする見方もある(→「門葉」)〔。
左馬頭に任じ、延福寺殿(円福寺殿)と号したことが系図に見える〔が、早世したために詳細な足跡は不明である。正和4年(1315年)11月に「足利左馬助」名で鶴岡八幡宮の僧侶・円重に対して供僧職安堵の書状を出しており(「鶴岡両界壇供僧次第」)〔当時、鶴岡八幡宮の上宮東回廊には足利義兼が両界曼荼羅と一切経を納めた「両界壇」と呼ばれる区画があり、足利氏宗家では八幡宮の僧侶に依頼して供養を行っていた。その供養を行う供僧の職の補任と安堵は宗家当主が行っていた(田中、2013年、P.171、吉井論文)。〕、足利家の家督を継承していたらしい。しかし、3年後の文保2年(1318年)9月には、家督を譲ったはずの父・貞氏が再び安堵状を出しており、この時までに高義は没したと考えられている。足利氏歴代当主の死没日がほぼ正確に記載されている『蠧簡集残編 六』所収「足利系図」には高義の死没日も記載されており〔田中、2013年、p.2(田中大喜「序にかえて」)。〕〔、それに基づけば文保元年(1317年)に没したことになる。また、『前田本源氏系図』の高義の注記には「左馬助、従五位下、早世廿一、」と没年齢を21歳としており、これを採用した場合は永仁5年(1297年)生まれとなる〔田中、2013年、P.191、前田論文。同書の巻末「下野足利氏関連年表」でもこの説を採用している。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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