翻訳と辞書
Words near each other
・ 足助城
・ 足助家
・ 足助村
・ 足助氏
・ 足助町
・ 足助町 (豊田市)
・ 足助病院
・ 足助神社
・ 足助美岐子
・ 足助翔
足助藩
・ 足助街道
・ 足助警察署
・ 足助郵便局
・ 足助重之
・ 足助重範
・ 足助重長
・ 足助陣屋
・ 足助高校
・ 足助高等学校


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

足助藩 : ミニ英和和英辞書
足助藩[あすけはん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [あし]
 【名詞】 1. foot 2. pace 3. gait 4. leg 
: [すけ]
 (n) assistance
: [はん]
  1. (n,n-suf) fiefdom 2. domain (precursor to current prefectures) 

足助藩 : ウィキペディア日本語版
足助藩[あすけはん]
足助藩(あすけはん)は、三河国加茂郡足助村(現在の愛知県豊田市)に存在した。藩庁は足助陣屋。〔二木謙一監修・工藤寛正編「国別 藩と城下町の事典」東京堂出版、2004年9月20日発行(347ページ)〕

== 概要 ==
徳川四天王で有名な本多忠勝の孫・本多忠義の五男である本多忠周は、加茂郡足助村に陣屋を置き、7000石の交代寄合となっていた。
忠周は天和3年(1683年)に寺社奉行となったことから3000石の加増を受けた。これにより合計1万石の大名として諸侯に列し、足助藩が立藩したのである。しかし貞享4年(1687年)、勤務怠慢から寺社奉行を免職され、2年後の元禄2年(1689年)には加増分の3000石を没収されて再び7000石の旗本寄合(ただし寄合となったのは元禄15年で、最初は小普請役だった)となったため、足助藩は廃藩となったのである。
なお、この旗本寄合本多氏は、幕末まで存続した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「足助藩」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.